田村 耕平(たむら こうへい、1848年嘉永元年1月[1][2]) - 1901年明治34年)2月4日[2][3])は、明治時代の政治家貴族院多額納税者議員

経歴 編集

豪商・田村太平の二男として下野国安蘇郡並木村(旗川村を経て現佐野市)に生まれ、1872年(明治5年)分家する[1]1875年(明治8年)並木村会議員となる[4]。一時上京するが、1888年(明治21年)帰郷し、翌年栃木県多額納税者に列す[4]1892年(明治25年)村内小学校建築委員を務め、1895年(明治28年)3月、旗川村助役兼収入役に就任[5]

その後、安蘇郡会議員を経て、1897年(明治30年)栃木県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[6]から務めるが[2]、在任中に暴漢に襲われ打撲傷を受け死去した[3]

脚注 編集

  1. ^ a b 倉沢 1895, 290頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 199頁.
  3. ^ a b 大植 1935, 620頁.
  4. ^ a b 倉沢 1895, 291頁.
  5. ^ 倉沢 1895, 292頁.
  6. ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。

参考文献 編集