安蘇郡
日本の栃木県(下野国)にあった郡
郡域
編集1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
上記のうち、日光市に属する区域は1889年(明治22年)の町村制施行時に上都賀郡に移管されている[1]。また、令制国時代の郡域としては、旧上都賀郡粟野町(現鹿沼市)の範囲まで広がっていたと見られる。
歴史
編集安蘇郡は古く毛野国に属したが、これが二つに区分された上つ毛野(上野国)と下つ毛野(下野国)については、あいまいな部分がある。
例えば万葉集の次の3首は、安蘇郡で詠まれたと見られる。
- 3404「可美都氣努 安蘇能麻素武良 可伎武太伎 奴礼杼安加奴乎 安杼加安我世牟」
- 3425「志母都家努 安素乃河泊良欲 伊之布麻受 蘇良由登伎奴与 奈我己許呂能礼」
- 3434「可美都家野 安蘇夜麻都豆良 野乎比呂美 波比尓思物能乎 安是加多延世武」
ここで、可美都氣努は上つ毛野、志母都家努は下つ毛野であり、両国に登場する理由として、安蘇山の裾野が渡良瀬川の河原付近まで伸びている為、川を境に安蘇が途切れることなく、上つ毛野 安蘇、下つ毛野 安蘇と詠まれている。両国に同名の地域があり現在の安蘇郡だけ後世に伝わった、単なる誤記、など諸説ある。
古代 - 中世
編集- 782年(延暦元年)5月3日 - 続日本紀に「下野国安蘇郡主帳外正六位下若麻続部牛養」とある。
- 8世紀後半 - 上記の通り、万葉集の東歌に登場する。
- 930年 - 和名類聚抄に、下野国安蘇郡の郷として、安蘇、説多、意部、麻続があげられている。
近代以降の沿革
編集幕末の知行
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 旗本領 | 23村 | ●鐙塚村、浅沼村、馬門村、高山村、君田村、免鳥村、畳岡村、古江村、下津原村、新吉水村、山越村、奈良淵村、●小中村、●赤見村、小見村、寺久保村、田沼村[3]、岩崎村、御神楽村、白岩村、中村、柿平村、水木村 |
幕府領・旗本領 | 1村 | 飯田村 | |
藩領 | 近江彦根藩 | 4町 9村 |
天明町[4]、●小屋町、●犬伏町[5]、●堀米町、富士村、韮川村、大栗村、吉水村、●栃本村、出流原村、閑馬村、下彦間村、上彦間村 |
武蔵金沢藩 | 4村 | ●下永野村、上永野村、中粕尾村、下粕尾村 | |
下野佐野藩 | 3村 | 植野村、田島村、赤坂村 | |
対馬府中藩 | 2村 | 上粕尾村、●秋山村 | |
上野前橋藩 | 1村 | 長谷場村 | |
下総古河藩 | 1村 | 黒桍村 | |
三河西端藩 | 1村 | 梅園村 | |
土佐高知新田藩 | 1村 | 石塚村 | |
古河藩・武蔵金沢藩 | 1村 | 下多田村 | |
彦根藩・厳原藩 | 1村 | 上多田村 | |
幕府領・藩領 | 幕府領・旗本領・高知新田藩 | 1村 | 船津川村 |
旗本領・前橋藩 | 3村 | 富岡村、新里村、●山形村 | |
旗本領・上野館林藩 | 1村 | ●並木村 | |
旗本領・厳原藩 | 2村 | 戸室村、作原村 | |
旗本領・彦根藩 | 1村 | 越名村 | |
旗本領・武蔵金沢藩 | 1村 | ●戸奈良村 | |
旗本領・高知新田藩・厳原藩 | 1村 | 船越村 | |
その他 | 日光領 | 1村 | 足尾村 |
寺社領 | 1村 | ●高萩村 |
- 慶応4年
- 明治2年
- 明治3年
- 領地替えにより館林藩領、高知新田藩領、厳原藩領および前橋藩領の一部(長谷場村)が日光県の管轄となる。
- このころ高萩村が彦根藩の管轄となる。
- 明治4年
- 1876年(明治9年)(4町55村)
- 4月 - 上仙波村、下仙波村、小曽戸村、小室村が当郡に移管。
- 11月 - 上仙波村・下仙波村が合併して仙波村に、小曽戸村・小室村が合併して会沢村になる。
- 天明町・小屋町が合併して佐野町となる。
- 下多田村・上多田村が合併して多田村[6]となる。
- 下永野村、上永野村、上粕尾村、中粕尾村、下粕尾村、畳岡村、古江村、下津原村、新里村が都賀郡に移管。
- 都賀郡葛生町、西浦村、牧村が当郡に移管。
- 都賀郡小屋村・田名網村・正雲寺村が合併して安蘇郡豊代村となる。
- 1878年(明治11年)11月8日 - 郡区町村編制法の栃木県での施行により、行政区画としての安蘇郡が発足。佐野町に郡役所を設置。
町村制以降の沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。飛駒村の一部を除く全域が現佐野市。足尾村は上都賀郡足尾町となり郡より離脱[1]。(5町10村)
- 佐野町(佐野町が単独町制)
- 植野村 ← 植野村、赤坂村、君田村、田島村、船津川村、飯田村
- 界村 ← 越名村、馬門村、高山村、高萩村
- 犬伏町 ← 犬伏町、富岡村、浅沼村、黒袴村、西浦村、鐙塚村、富士村、韮川村、大栗村
- 堀米町 ← 堀米町、奈良淵村
- 田沼町 ← 田沼村、戸奈良村、栃本村、小見村、吉水村、新吉水村、山越村および多田村の大部分
- 三好村 ← 岩崎村、船越村、戸室村
- 葛生町 ← 葛生町、中村、会沢村および多田村の一部
- 常盤村 ← 牧村、仙波村、豊代村
- 氷室村 ← 柿平村、水木村、秋山村
- 野上村 ← 長谷場村、御神楽村、白岩村、作原村
- 飛駒村(上彦間村が単独村制)
- 新合村 ← 閑馬村、下彦間村、梅園村、山形村
- 赤見村 ← 赤見村、出流原村、寺久保村、石塚村、小中村
- 旗川村 ← 並木村、免鳥村
- 1891年(明治24年)11月7日 - 赤見村の一部(大字小中)が旗川村に編入。
- 1897年(明治30年)7月1日 - 郡制を施行。
- 1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 佐野町・堀米町・犬伏町・植野村・界村・旗川村が合併して佐野市が発足し、郡より離脱。(2町7村)
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 赤見村が町制施行して赤見町となる。(3町6村)
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 田沼町・三好村・野上村が合併し、改めて田沼町が発足。(3町4村)
- 1955年(昭和30年)
- 1月8日 - 葛生町・常盤村・氷室村が合併し、改めて葛生町が発足。(3町2村)
- 3月31日 - 赤見町が佐野市に編入。(2町2村)
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 飛駒村・新合村が田沼町に編入。(2町)
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 田沼町の一部(大字飛駒の一部)が群馬県桐生市に編入(越境合併)。
- 2005年(平成17年)2月28日 - 葛生町・田沼町が佐野市と合併し、改めて佐野市が発足。同日安蘇郡消滅。
変遷表
編集自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
佐野町 | 昭和18年4月1日 佐野市 |
佐野市 | 佐野市 | 平成17年2月28日 佐野市 |
佐野市 | |
犬伏町 | ||||||
堀米町 | ||||||
界村 | ||||||
植野村 | ||||||
旗川村 | ||||||
赤見村 | 昭和23年4月1日 町制 |
昭和30年3月31日 佐野市に編入 | ||||
葛生町 | 葛生町 | 昭和30年1月8日 葛生町 | ||||
常盤村 | 常盤村 | |||||
氷室村 | 氷室村 | |||||
田沼町 | 昭和29年3月31日 田沼町 |
田沼町 | 田沼町 | |||
三好村 | ||||||
野上村 | ||||||
新合村 | 新合村 | 昭和31年9月30日 田沼町に編入 | ||||
飛駒村 | 飛駒村 | |||||
昭和43年4月1日 群馬県桐生市に編入(入飛駒) |
群馬県 桐生市 |
群馬県 桐生市 |
行政
編集- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治11年(1878年)11月8日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 9 栃木県、角川書店、1984年11月1日。ISBN 4040010906。
- 荻原貞興『日光山輪王寺 第十九號』日光山輪王寺門跡執事局、1963年5月12日。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
編集- 『安蘇郡誌』全国縮類共進会協賛会、1909年 。