葛井 根道(ふじい の ねみち、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は連。官位は外従五位下・伊豆守。
孝謙朝から淳仁朝にかけて造東大寺主典・判官を務める。天平宝字7年(763年)礼部少輔・中臣伊加麻呂とその子息の真助と3人で飲酒し、忌諱すべき内容(孝謙上皇と道鏡との関係か)に話が及んだとして通報され、伊加麻呂は大隅守に左遷され、真助は土佐国、根道は隠岐国へそれぞれ流罪となった。
その後罪を赦されたらしく、光仁朝末の宝亀10年(779年)外従五位下に叙せられ、翌宝亀11年(780年)伊豆守に任ぜられている。
注記のないものは『続日本紀』による。