昆解沙弥麻呂
昆解 沙弥麻呂(こんけ /こんげ の さみまろ、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。氏姓は昆解(無姓)のち昆解宿禰、鴈高宿禰。名は佐美麻呂とも記される。官位は従五位下・駿河介。
出自
編集昆解氏は百済の第14代国王・貴首王の後裔を称する百済系渡来氏族[1]。改姓後の鴈高は大和国高円山付近の地名であることから、当地を本拠地としたか[2]。
経歴
編集右京の人。称徳朝の天平神護3年(767年)従六位上から三階昇進して外従五位下に叙せられ、翌神護景雲2年(768年)雅楽助に任ぜられる。
光仁朝の宝亀3年(772年)内位の従五位下に叙せられ、宝亀9年(778年)には駿河介として地方官を務めた。また、この間の宝亀6年(775年)無姓から新たに宿禰姓を与えられている。
官歴
編集『続日本紀』による。