紫藤寛治
紫藤 寛治(しとう かんじ、1832年(天保3年3月[1][2]) - 1897年(明治30年)6月15日[2])は、明治時代の政治家。衆議院議員(4期)。
経歴
編集吉川愿恭の第三子として肥後熊本藩領合志郡、のちの原水村(熊本県菊池郡原水村、菊陽村を経て現菊陽町)に生まれ、同村の紫藤善十郎の養嗣子となる[1]。戊辰戦争、西南戦争に従軍した[2]。1873年(明治6年)居村に大原義塾を開き子弟教育に尽力する[3]。里正となったのち[2]、1881年(明治14年)熊本県会議員に当選し、1883年(明治16年)同常置委員となった[3]。ほか、製糸業の改善発達に尽力した[2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では熊本県第3区から出馬し当選[2]。4期連続当選を果たした[2]。
親族
編集脚注
編集- ^ a b 篠田 1891, 348頁.
- ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 編 1962, 232頁.
- ^ a b 篠田 1891, 349頁.
- ^ 人事興信所 1915, し2頁.
- ^ 人事興信所 1928, シ8頁.
- ^ 人事興信所 1928, ム4頁.
参考文献
編集- 篠田正作 編『明治新立志編』鍾美堂、1891年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。