巨勢久須比
巨勢 久須比(こせ の くすひ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。大臣・巨勢男人の玄孫で、巨勢粟持の子とする系図がある[1]。官位は正五位下・右衛士督。
経歴
編集文武朝の大宝4年(704年)従五位下に叙爵する。この時に従五位下に昇った官人に穂積山守・大神狛麻呂・佐伯乗麻呂・采女枚夫・太安万侶・阿倍首名・田口益人・笠麻呂・石上豊庭・大伴道足・佐太老・漆部道麻呂・米多北助・多治比三宅麻呂・台八嶋らがいる。
従五位上に昇叙されたのち、元明朝の和銅元年(708年)右衛士督に任ぜられ、和銅5年(712年)穂積山守・大伴道足・佐太老とともに正五位下に昇叙されている。
官歴
編集『続日本紀』による。
脚注
編集- ^ 『皇胤志』