渡辺肇
昭和期の新聞編集者、政治家
渡辺 肇(本姓:渡邊肇児[1]、わたなべ はじめ、1938年(昭和13年)2月[1] - )は、昭和期の新聞編集者、政治家。衆議院議員。
経歴
編集新潟県出身[1]。新聞記者渡邊良夫の二男として生まれる。1960年(昭和35年)慶應義塾大学文学部を卒業した[1]。読売新聞社に入社し編集局記者を務めた[1]。その後、大蔵大臣田中角栄の秘書に転じた[1]。
1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で新潟県第2区から自由民主党公認で出馬してトップ当選[2][3]。1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙でも再選され[1][4]、衆議院議員に連続2期在任した[1]。この間、豪雪地帯対策審議会委員、自民党文化局次長、同青年婦人対策特別副委員長、体力づくり指導協会専務理事、自民党新潟県連常任顧問などを務めた[1]。その後、1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙には病のため出馬せず政界を引退し、弟渡辺紘三が立候補して初当選した[4][5]。
脚注
編集参考文献
編集- 『新潟県史 通史編9 現代』新潟県、1988年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。