高橋喜久夫
高橋 喜久夫(たかはし きくお、1906年〈明治39年〉11月12日[1] - 1965年〈昭和40年〉7月19日[2])は、日本の医師、医学者、教育者。徳島大学医学部教授、日本胸部外科学会第18回会長、日本外科学会評議員。国民病と呼ばれた結核患者の手術を通じて、日本の胸部外科学の草分け的存在となった。
経歴
編集神戸市出身[3]。1954年10月、徳島大学医学部発足と同時に九州大学医学部助教授から赴任[4][5]。11月に第二外科(現胸部・内分泌・腫瘍外科)の教授に就任して、当時、呼吸器外科学の主流であった肺結核手術の権威となった[4]。同年に日本胸部外科学会に学会長に就任するも[4][6]、胃と肝臓病のため体調が悪化。1962年9月17日、徳島市で行われた肺ガン研究会第2回中四国部会で「ガンは中年や老人ばかりでなく10代でもかかる」という報告が取り上げられる[7]。1965年7月19日[注釈 1]、徳島市の自宅にて死去、享年58歳[3][9][10]。同月30日、徳島大学で医学部葬が行われる[3][9]。
注釈
編集出典
編集- ^ 『高橋喜久夫教授業績と思い出』徳島大学医学部外科学第2講座開溝記念会、1967年11月30日。
- ^ “学会総会概要と歴代会長の横顔(第1回~第50回)” (PDF). 日本胸部外科学会. 2019年4月29日閲覧。
- ^ a b c 「高橋喜久夫氏(日本胸部外科学会長、徳島大学医学部教授)」『読売新聞』1965年7月21日、15面。
- ^ a b c “教室紹介”. 徳島大学胸部・内分泌・腫瘍外科. 2020年7月25日閲覧。
- ^ 大田満夫 (1993年12月). “《研究室事始めから》 外科臨床医の研究室”. 九州大学大学院 医学研究院附属 胸部疾患研究施設. 2020年7月25日閲覧。
- ^ “歴代理事長・会長”. 日本胸部外科学会. 2020年7月25日閲覧。
- ^ 「いずみ」『読売新聞』1962年9月17日、11面。
- ^ 御悔み欄『日本経済新聞』昭和40年7月20日15面
- ^ a b 「高橋喜久夫氏(日本胸部外科学会長、徳島大学医学部教授)」『毎日新聞』1965年7月20日、7面。
- ^ 「高橋 喜久夫氏(徳島大学医学部教授)」『朝日新聞』1965年7月20日、15面。