イザベラ・ブラント(Isabella Brant, 1591年-1626年7月15日[1])は、バロック期のフランドルの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの最初の妻である。ルーベンスはイザベラのいくつかの肖像画を描ている。

ルーベンスによるイザベラ・ブラントの肖像画。クリーブランド美術館所蔵。
アンソニー・ヴァン・ダイクによる肖像画。ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵。

家族

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イザベラはアントウェルペンの重要な市の職員であるヤン・ブラント(Jan Brant)とヘンドリック・ド・モイ(Hendrik de Moy)の娘クララ・ド・モイ(Clara de Moy)の長女として生まれた。叔母のマリー(Marie de Moy)は、イザベラの将来の夫の兄弟であるフィリップ・ルーベンス英語版と結婚している。イザベラは1609年10月3日にアントウェルペンの聖ミカエル修道院英語版で叔父の兄弟ピーテル・パウルと結婚した。彼らには3人の子供クララ(Clara)、ニコラース(Nicolaas)、アルベルト(Albert)が生まれた。ペストが原因で死去したとき、彼女は34歳だった。

系図

ヤン・ブラント:クララ・ド・モイと結婚[2]

    • イザベラ・ブラントピーテル・パウル・ルーベンスと結婚。
      1. クララ・セレーナ・ルーベンス(Clara Rubens):12歳で死去。
      2. ラメイン卿ニコラース・ルーベンス(Nicolaas Rubens, Lord of Rameyen)。
      3. アルベルト・ルーベンス英語版(Albert Rubens)。
    • ヘンドリック・ブラント(Hendrik Brant, 1594年生まれ): 若くして死去。
    • ヤン・ブラント(Jan Brant, 1596生まれ):子供なく死去。
    • クララ・ブラント(Clara Brant, 1599年生まれ):エレーヌ・フールマンの兄ダニエル・フールマン2世(Daniel II Fourment, Lord of Wijtvliet)と結婚。

作品

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ルーベンスの助手であった画家アンソニー・ヴァン・ダイクによる彼女の肖像画に加えて、ルーベンスによるブラントのいくつかの絵画と彼女の1つの重要な素描が彼女の姿を現代に伝えている。

1977年、イザベラを描いた絵画がアンギラ切手に登場している。

ギャラリー

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肖像画

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家族

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脚注

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  1. ^ ROSINE DE DIJN, "Liefde, leed en passie. De vrouwen van Rubens", Van Halewyck, Leuven, 2009.
  2. ^ “De” Vlaamsche school: algemeen tijdschrift voor kunsten en letteren / Buschmann, 1863.

参考文献

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  • Liedtke , Walter A. (1984). Flemish paintings in the Metropolitan Museum of Art. New York: The Metropolitan Museum of Art. ISBN 0870993569. https://archive.org/details/flemishpaintings0000metr  (see index).