田口 健二(たぐち けんじ、1930年9月20日 - 2006年1月18日)は、日本の政治家。元日本社会党、社会民主党衆議院議員

経歴

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満洲(現中華人民共和国大連市出身、長崎県大村市育ち。長崎県立大村高等学校卒業。

大日本帝国海軍退役後、長崎県大村町から満洲へ渡り、土木工事請負会社である合名會社義合祥(本店:奉天)に勤務した父(田口周二)と母(浜崎チサ)の5男(健二、繁、寛治、周造、英彦)3女(カネ子、マス子、マサ子)の長男として大連市に生まれる。

大村市役所、自治労長崎県本部委員長を経て、日本社会党中村重光衆議院議員(連続当選9回)の地盤を引き継ぎ、1986年の第38回衆議院議員総選挙旧長崎1区から日本社会党公認で立候補、初当選。その後、連続当選3回。内閣委員会理事。1996年10月、社会民主党を離党、新たに結成された民主党に所属。第41回衆議院議員総選挙長崎1区小選挙区)から立候補したが、新進党の西岡武夫に敗れ、落選。65歳で政界を引退。

2006年1月18日、敗血症のため長崎県大村市内の病院で死去。75歳没。

栄典

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脚注

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  1. ^ 「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊