三宅 仁(みやけ まさし 1908年2月9日 - 1969年11月25日)は、日本の病理学者。東京大学医学部名誉教授。父は三宅鉱一、祖父に三宅秀

経歴

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東京都出身。1932年東京帝国大学医学部卒業後、同大学病理学教室に所属して長与又郎緒方知三郎三田村篤四郎教授に師事した。1947年から1968年まで医学部教授を務め、教授として活動中に日本病理学会日本血液学会日本肝臓学会の会長、役員などを歴任したほか、原爆症の研究では世界初の病理学的業績を残した[1]。1969年11月25日、脳血栓により東京都文京区の自宅にて死去[2]

脚注

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  1. ^ 三宅仁」『日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」』https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E5%AE%85%E4%BB%81コトバンクより2021年1月17日閲覧 
  2. ^ 訃報欄『朝日新聞』昭和44年(1969年)11月26日朝刊、12版、15面