クレメンティア・フォン・ハプスブルク

クレメンティア・フォン・ハプスブルク(ドイツ語:Klementia von Habsburg, 1262年 - 1293/5年)は、ローマ王ルドルフ1世ゲルトルート・フォン・ホーエンベルクの間の娘。

クレメンティア・フォン・ハプスブルク
Klementia von Habsburg

出生 1262年
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
オーストリア公領、ウィーン
死去 1293/5年
埋葬 ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ大聖堂
配偶者 カルロ・マルテッロ・ダンジョ
子女 カーロイ1世
ベアトリス
クレマンス
家名 ハプスブルク家
父親 ルドルフ1世
母親 ゲルトルート・フォン・ホーエンベルク
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生涯

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クレメンティアは1281年1月8日ナポリ王カルロ2世の息子カルロ・マルテッロ・ダンジョと結婚した[1]

カルロ・マルテッロは、嗣子なく死去した母方の叔父ラースロー4世の後に教皇ニコラウス4世らによりハンガリー王とされた。実際には、ハンガリーはアールパード家の従兄弟アンドラーシュ3世が統治し、カルロ・マルテッロはハンガリーを統治することはできなかった。しかしカルロ・マルテッロはクロアチアの一部で権利を行使することに成功し、クロアチアはその後ハンガリーとの同君連合となった。

カルロ・マルテッロは父に先立ち1295年に死去した。クレメンティアは末子クレマンスの誕生の後、1293年に死去したと伝えられるが、一説には1295年にカルロ・マルテッロの死から数ヶ月後に死去したとも言われている[2]

後に息子カーロイ1世はハンガリー王となった。

子女

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カルロ・マルテッロとの間に3子をもうけた。

脚注

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  1. ^ Theresa Earenfight, Queenship in Medieval Europe, (Palgrave Macmillan, 2013), 173.
  2. ^ Constantin Wurzbach, Biographisches Lexikon des Kaisertums Österreich, Vienna, 1860, Vol. VI, p. 159 (online version)