大塚幸兵衛
大塚 幸兵衛(幸兵衞、おおつか こうべえ、1857年(安政4年[注釈 1] 7月[1])- 1910年(明治43年[注釈 2])1月12日[1])は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集豊後国海部郡、のちの大分県[1]北海部郡臼杵町[2]平清水[3](現臼杵市福良平清水)で商家に生まれた[2]。漢学、数学を修めた[1]。家業を継承し[3]、商才に恵まれ、たばこ製造、米相場で多額の財産を得た[2][3]。
大分郡会議員、臼杵町会議員、大分県勧業諮問会委員などを務めた[1]。1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙(大分県第2区、山下倶楽部)で豊州会から選挙活動を行う予定であったが、改進派との話し合いで活動を停止したが、改進派の違約により投票日前日一日だけの選挙活動で当選し[2][3][4]、「大塚の一日選挙」と称された[2][3]。衆議院議員には1期在任した[1]。改進派多数の臼杵で政友会幹部として活動した[2][3]。
また臼杵城跡を町民に開放することに尽力し[2][3]、1893年、明治26年の台風の洪水災害では私財を投じて被災民の救済を行った[2][3]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 大分放送大分百科事典刊行本部編『大分百科事典』大分放送、1980年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大分県歴史人物事典』大分合同新聞社、1996年。