吉松忠敬
吉松 忠敬(よしまつ ちゅうけい、1865年11月13日(慶応元年9月25日)[1] - 1937年(昭和12年)8月27日[2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集宮崎県出身[2]。日清戦争に参加し、陸軍砲兵一等軍曹となる[2]。帰国後は林業を営み、南那珂郡福島村長、宮崎県議、同議長を務める[2]。
1924年の第15回衆議院議員総選挙において宮崎1区から政友本党公認で立候補して当選した[3]。のち立憲政友会に移り、衆議院議員を1期務めた。1928年の第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1937年死去。子孫にはジャーナリストの田中耕がいる。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 吉松邸資料相関図 1986年