平井熊三郎
平井 熊三郎(ひらい くまさぶろう、1874年(明治7年)3月7日[1] - 1935年(昭和10年)3月21日[2][3])は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・土倉[注釈 1]。
経歴
編集京都府[2][4] 京都[5](現京都市[3]下京区)西本願寺境内で[6]、絵処[1]・土倉司馬蔵の三男として生まれ[1]、1884年(明治17年)8月、同じく本願寺旧臣の家系、平井トセの養子となり[1]、1888年(明治21年)家督を相続した[1]。
家庭が貧しく17歳で第四十九銀行に勤める[6]。1896年(明治29年)西本願寺信徒の出資による起業銀行が設立されると招かれて支配人代理・営業部主任となり[5][6]、下関支店長、本店支配人を歴任し、1905年(明治38年)専務取締役に就任[3][5][6]。その他、京都米穀取引所理事、京都商業会議所議員、日本製布監査役、伏見瓦斯取締役会長、大日本興産取締役、大阪帝国通信取締役、中央物産社長などを務めた[1][2][3][4][5][6]。
1907年(明治40年)3月、京都市会議員に選出され、同参事会員、同勧業委員も務めた[1][2][3][4][5][6]。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(京都府京都市、中立)で当選し[4][7]、その後、中央倶楽部[4]、立憲同志会[2]に所属し、衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『人事興信録 第3版』ひ39頁では土蔵。
出典
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。下685コマ
- 尾野好三編『成功亀鑑』大阪実業興信所、1909年。
- 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 『京都大事典』淡交社、1984年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。