赤澤 伊太郎(赤沢、あかざわ いたろう、1851年1月3日(嘉永3年12月2日[1]) - 1920年大正9年)1月26日[2])は、明治時代の政治家実業家[1]貴族院多額納税者議員

経歴

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日向国、のちの宮崎県東臼杵郡門川村(現門川町)出身[1]。赤澤清太郎の長男として生まれ、1857年(安政4年2月)に家督を相続する[1]

1897年(明治30年)宮崎県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[3]から1902年(明治35年)10月6日まで在任した[2][4]

脚注

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  1. ^ a b c d 人事興信所 1915, あ43頁.
  2. ^ a b 衆議院、参議院 1960, 176頁.
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、9頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。

参考文献

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