市橋藤蔵
明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家
市橋 藤蔵(藤藏、いちはし とうぞう、1854年(安政元年6月[1])- 1923年(大正12年)7月25日[1][2][3])は、明治から大正期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、新潟県加茂郡梅津村長、同県佐渡郡加茂村長。
経歴
編集佐渡国加茂郡梅津村(新潟県[1]加茂郡梅津村、佐渡郡梅津村[2]、加茂村、両津市梅津[3]を経て現佐渡市梅津)で生まれた。圓山溟北に学んだ[3]。農業を営む[1][2]。佐渡三郡勧業殖産下掛を務めた[3]。
1872年(明治5年)加茂歌代郷校読方補助に就任[3]。以後、梅津戸長、地租改正下調役、第二十六区副大区長兼小六区長、佐渡三郡町村連合会議員、同議長、所得税調査委員、徴兵参事員などを務めた[1][2][3]。1889年(明治22年)梅津村長に就任[1][2][3]。1900年(明治33年)新潟県会議員に選出され[1][2][3]、海底電線の敷設、中等学校の拡充などに尽力した[3]。
後藤五郎治の死去に伴い、1897年(明治30年)11月に実施された第4回衆議院議員総選挙新潟県第9区補欠選挙で当選し[3][4][5]、進歩党に所属した[3]。1898年(明治31年)3月、第5回総選挙(新潟県第9区、進歩党)でも再選され[3][6]、衆議院議員に連続2期在任した[1][2]。
その後、1901年(明治34年)初代加茂村長となり[1][2][3]、同村会議員も務めた[1][2]。1921年(大正10年)白瀬川水力電気代表取締役に就任した[1][2][3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 衆議院事務局『第一回乃至第十九回総選挙衆議院議員当選回数調』1936年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 牧野利平編『越佐人物誌 上巻』野島出版、1972年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。