佐渡市

日本の新潟県の市

佐渡市(さどし)は、新潟県西部に位置する佐渡島全域を市域とする人口約5万7000人の

さどし
佐渡市
Sadokinzan-doyunowareto 01.JPG
Flag of Sado, Niigata.svg
佐渡市旗
Symbol of Sado Niigata.svg
佐渡市章
2004年平成16年)3月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
団体コード 15224-2
法人番号 9000020152242
面積 855.69km2
総人口 55,212
推計人口、2017年10月1日)
人口密度 64.5人/km2
隣接自治体 新潟市長岡市上越市
市の木 アテビ
市の花 カンゾウ
市の鳥
市の魚
トキ
ブリ
佐渡市役所
市長 三浦基裕
所在地 952-1292
新潟県佐渡市千種232番地
北緯38度1分6.1秒東経138度22分5.4秒座標: 北緯38度1分6.1秒 東経138度22分5.4秒
Sado city hall.JPG
外部リンク 佐渡市

佐渡市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

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佐渡 2007年8月

面積は854.76km2[1]、これは、島嶼部を除いた東京都東京23区多摩地域)の面積1791.47km2の約48%にあたり、また大阪府の面積1897.86km2の約45%に相当する。

目次

地理編集

 
加茂湖周辺の空中写真。佐渡市(旧両津市)の市街地は、加茂湖と日本海の間の砂州上に形成されている。この画像は上方が北北西方角である。1976年撮影の16枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

隣接している自治体編集

佐渡島内の自治体は佐渡市のみであり、島内に他の自治体はない。但し、航路・空路で以下の自治体と結ばれている。

歴史編集

古代編集

佐渡国が建てられた時期は大化の改新以降とされるが正確な時期は不明。初見は文武天皇4年(700年)に遡る。

守護代本間氏編集

鎌倉幕府守護代として、本間氏を佐渡に派遣。同時に佐渡に入った御家人の渋谷・藍原氏らとともに、戦国時代までこれらの諸氏が佐渡を支配する。

室町・戦国編集

本間氏の分家が進み、河原田本間氏(本拠・河原田城)、羽茂本間氏(本拠・羽茂城)の勢力が惣領家(本拠・雑太城)をしのぐようになる。

上杉景勝編集

越後の大大名上杉謙信の死により混迷した佐渡を、謙信の跡を継いだ上杉景勝が平定し、本間氏は滅亡する。その後、本間氏の一族が酒田に移り、酒田本間氏となる。景勝が会津に移封後も、佐渡は引き続き上杉領となる。

幕府領編集

江戸幕府佐渡奉行所を置き、佐渡一国を支配する。佐渡金山から産出されたは、幕府の財政を潤した。明治時代になって、一国天領と呼ばれた。

明治以降編集

航海技術の発展により、航路(北前船)の中継基地とした役割がなくなり、経済的に廃れる。

行政区域の変遷(市町村制施行以後)編集

明治編集

  • 1889年明治22年)4月1日:(3郡)7町51村
    • 相川町雑太郡役所を置き、羽茂郡加茂郡を管轄
      • 雑太郡:4町16村
        • 相川町二見村、沢根町村、五十里町、川原田町、八幡村二宮村、野田村、金沢村、平泉村、国仲村、畑野村、小倉村、栗野江村、三宮村、金丸村、新町、真野村、金泉村、北海村
      • 羽茂郡:1町13村
        • 恋ヶ浦村、小布勢村、亀ノ脊村、岬村、小木町、羽茂本郷村、大橋村、川茂村、千手村、真浦村、赤泊村、徳和村、三川村、松ヶ崎村
      • 加茂郡:2町22村
        • 吉井村、長江村、秋津村、田野沢村、潟上村、正明寺村、長畝村、新穂村、大野村、岩首村、水津村、富岡村、河崎村、明治村、吾潟村、湊町、夷町、加茂歌代村、梅津村、羽吉村、内浦村、内海府村、高千村、外海府村
  • 1893年(明治26年)2月3日:内浦村の北五十里を羽吉村に編入(両津)
  • 1896年(明治29年)4月1日
    • 府県制・郡制により、佐渡三郡(雑太郡、羽茂郡、加茂郡)を佐渡郡に再編
    • 相川町に佐渡郡役所を置く
  • 1898年(明治31年)9月9日:川原田町が河原田町に改称(佐和田)
  • 1901年(明治34年)11月1日:5町21村
    • 富岡村、河崎村、明治村、吾潟村が合併し、河崎村に(両津)
    • 湊町、夷町、加茂歌代村の一部が合併し、両津町に(両津)
    • 梅津村、羽吉村、内浦村、加茂歌代村の一部が合併し、加茂村に(両津)
    • 吉井村、長江村、秋津村が合併し、吉井村に(両津、金井)
    • 金沢村、平泉村が合併し、金沢村に(金井)
    • 相川町、二見村の鹿伏、金泉村の下相川が合併し、相川町に(相川)
    • 金泉村の小川・達者・姫津・北狄、北海村の戸地・戸中が合併し、金泉村に(相川)
    • 高千村、北海村の後尾・石花・北片辺・南片辺が合併し、高千村に(相川)
    • 沢根町村、五十里町が合併し、沢根町に(佐和田)
    • 潟上村、田野沢村、正明寺村、新穂村、大野村、長畝村、国仲村の皆川・舟下が合併し、新穂村に(新穂)
    • 畑野村、小倉村、栗野江村、三宮村、国仲村の目黒町が合併し、畑野村に(畑野)
    • 真野村、金丸村、新町、恋ヶ浦村、川茂村の下黒川・静平が合併し、真野村に(真野)
    • 小布勢村、亀ノ脊村が合併し、西三川村に(真野、羽茂)
    • 羽茂本郷村、大橋村、千手村が合併し、羽茂村に(羽茂)
    • 真浦村、赤泊村、徳和村、三川村、川茂村の上川茂・下川茂・外山が合併し、赤泊村に(赤泊)
    • 岬村、小木町が合併し、小木町に(小木)
  • 1902年(明治35年)4月1日:5町20村
    • 二宮村、野田村が合併し、二宮村に(佐和田)

昭和編集

  • 1942年昭和17年)7月1日:相川町に佐渡支庁( - 1955年)設置
  • 1948年(昭和23年)8月1日:西三川村の村山の一部を羽茂村に編入(真野、羽茂)
  • 1951年(昭和26年)1月1日:6町19村
    • 真野村が町制を施行、真野町に(真野)
  • 1954年(昭和29年)3月31日:6町17村
    • 相川町、二見村、金泉村が合併し、相川町に(相川)
  • 1954年(昭和29年)7月20日:5町15村
    • 二宮村、沢根町、八幡村、河原田町が合併し、佐和田町に(佐和田)
  • 1954年(昭和29年)11月3日:1市4町9村
    • 両津町、加茂村、河崎村、水津村、岩首村、内海府村、吉井村の立野・旭・秋津・潟端・長江・上横山・下横山が合併し、両津市に(両津)
    • 金沢村、吉井村の吉井・吉井本郷・大和・安養寺・三瀬川・水渡田が合併し、金井村に(金井)
  • 1955年(昭和30年)3月31日:1市4町7村
    • 羽茂村、西三川村の村山・小泊・亀脇が合併し、羽茂村に(羽茂)
    • 真野町、西三川村の大小・大倉谷・田切須・西三川・椿尾が合併し、真野町に(真野)
    • 畑野村、松ヶ崎村が合併し、畑野村に(畑野)
  • 1956年(昭和31年)9月30日:1市4町5村
    • 相川町、高千村、外海府村が合併し、相川町に(相川)
  • 1957年(昭和32年)11月3日:相川町の願・北鵜島・真更川を両津市に編入(両津、相川)
  • 1960年(昭和35年)11月3日:1市6町3村
    • 金井村が町制を施行、金井町に(金井)
    • 畑野村が町制を施行、畑野町に(畑野)
  • 1961年(昭和36年)4月1日:1市7町2村
    • 羽茂村が町制を施行、羽茂町に(羽茂)

平成編集

  • 2001年(平成13年)、佐渡市町村合併検討協議会が発足。
  • 2002年(平成14年)、市庁舎を島の中央部の金井町へ建設することが決定。佐和田町が協議会から離脱。
  • 2003年(平成15年)、佐和田町を除く9市町村で法定協議会が再設置されるも、佐和田町が住民投票を経て協議会に再合流。
  • 2004年(平成16年)3月1日、佐渡市が発足。佐渡郡が消滅する。

人口編集

 
佐渡市と全国の年齢別人口分布(2005年) 佐渡市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 佐渡市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
佐渡市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 92,558人
1975年 87,504人
1980年 84,942人
1985年 81,939人
1990年 78,061人
1995年 74,949人
2000年 72,173人
2005年 67,386人
2010年 62,727人
2015年 57,255人
総務省統計局 国勢調査より

行政編集

 
両津支所
 
旧相川支所

市長編集

歴代市長

市役所・支所編集

庁舎 所在地
市役所(金井地区) 〒952-1292 佐渡市千種232
両津支所 〒952-8501 佐渡市両津湊198
相川支所 〒952-1592 佐渡市相川栄町27
羽茂支所 〒952-0504 佐渡市羽茂本郷550
佐和田行政サービスセンター 〒952-1393 佐渡市河原田本町394
新穂行政サービスセンター 〒952-0106 佐渡市新穂瓜生屋490
畑野行政サービスセンター 〒952-0206 佐渡市畑野甲533
真野行政サービスセンター 〒952-0318 佐渡市真野新町489
小木行政サービスセンター 〒952-0604 佐渡市小木町1940-1
赤泊行政サービスセンター 〒952-0706 佐渡市徳和2376-3

立法編集

市議会編集

  • 定数:24
  • 任期:2012年(平成24年)4月18日 - 2016年(平成28年)4月17日
  • 議長:根岸勇雄(無所属)
  • 副議長:(民主党)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
政友会 5 ◎岩崎隆寿、中川隆一、坂下善英、渡辺慎一、笠井正信
新政クラブ 4 ◎浜田正敏、金田淳一、駒形信雄、佐藤孝
自由・三一クラブ 3 ◎金子克己、猪股文彦、金光英晴
日本共産党 2 ◎中川直美、中村良夫
民主党 2 ◎近藤和義、村川四郎
無会派 6 山田伸之、荒井眞理、大森幸平、大澤祐治郎、竹内道廣、根岸勇雄
計(欠員2) 22

※2015年4月12日投開票の新潟県議会選挙出馬のため2名が辞職。

県議会編集

  • 定数:2
  • 任期:2015年(平成27年)4月30日 - 2019年(平成31年)4月29日
議員名 会派名 当選回数
中野洸 自由民主党 6
佐藤久雄 無所属 2

衆議院編集

議員名 党派名 当選回数 備考
細田健一 自由民主党 2 選挙区
鷲尾英一郎 民主党 4 比例復活

司法編集

裁判所編集

国の施設編集

  • 旧・国立佐渡療養所は、民間に移管され真野みずほ病院となったため、現在は国の施設ではない。

県の施設編集

経済編集

産業編集

主な産業編集

 
佐渡金山の入口
 
朱鷺が舞い降りる佐渡の田圃(世界重要農業遺産システム
農業・漁業
島の中央にある国中平野では稲作が盛んであり、佐渡産コシヒカリは市場でも評価が高い。また、周囲を海で囲まれているため、漁業も盛んである。地域別では羽茂地区特産の「おけさ柿」(品種名:平核無)や、両津地区での加茂湖牡蠣養殖が有名。
観光
古代から多くの貴族、武士が流刑となり、中央の文化を伝えたため、多くの文化財がある。また、夏場は各地の海岸が海水浴場となる。佐渡の年間観光客入込数は、1991年(平成3年)の121万人をピークとして最近は漸減しており、リピーターの確保が今後の課題となる。2004年(平成16年)は、夏場の週末に相次いで台風の影響で佐渡汽船の航路が欠航し、最大の書き入れ時を棒に振った。その分を補おうとした矢先に、新潟県中越地震が発生。直接被害は皆無だったが、風評被害や本土の交通網の寸断により、観光客は激減。2005年(平成17年)は、社会実験などが好調で、何とか盛り返した。
鉱業
かつては佐渡金山があり、栄えていたが、採掘量減少のため、1951年(昭和26年)以降は大規模採掘は行われなくなり、1989年(平成元年)、三菱金属株式会社(現・三菱マテリアル)の撤退に伴い、閉山した。現在は坑内の一部が見学でき、観光スポットとなっている。
IT
2005年より、お笑いとインターネットを活用した民間主導による地域情報化・地域活性のための多角的な取組みとして佐渡、お笑い島計画を導入・実施。2005年から3年間、お笑い芸人が半年間佐渡に住みながら島内を行脚し、交流の模様を動画やブログにて発信することで、佐渡の魅力を継続的に伝えていった。

産業別人口編集

  • 総計:36,314人(100.0%)
  • 第1次産業:8,789人(24.2%)
  • 第2次産業:7,777人(21.4%)
  • 第3次産業:19,711人(54.3%)
  • 分類不能:37人(0.1%)
(2005年国勢調査)

伝統工芸編集

姉妹都市・提携都市編集

佐渡市合併前の交流事業は以下の通り。今後は、全島規模で交流できるものと、旧市町村単位で交流するものとを分けるか調整する。

国内編集

日本国外編集

地域編集

病院編集

  • 佐渡市立両津病院
  • 佐渡市立相川病院
  • JA新潟厚生連佐渡総合病院
  • JA新潟厚生連真野みずほ病院
  • JA新潟厚生連羽茂病院
  • 医療法人おけさ会佐和田病院

教育編集

中等教育学校編集

高等学校編集

小・中学校編集

特別支援学校編集

  • 新潟県立佐渡特別支援学校
    1959年(昭和34年)設置の分校が前身。1986年(昭和61年)創立。小学部、中学部、高等部がある。

専門学校編集

学校教育以外の施設編集

職業訓練施設

社会教育編集

図書館編集

  • 佐渡市立中央図書館
  • 佐渡市立金井図書館
  • 佐渡市立真野図書館
  • 佐渡市立小木図書館
  • 佐渡市立さわた図書館

博物館編集

  • 佐渡博物館
  • 両津郷土博物館
  • 相川郷土博物館
  • 佐渡市新穂歴史民俗資料館
  • 佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館
  • 佐渡歴史伝説館

美術館編集

ホール・集会場編集

  • アミューズメント佐渡(佐渡中央文化会館)
  • 両津文化会館(旧両津市民会館)
  • 佐渡会館
  • 大崎活性化センター
  • 金井コミュニティーセンター

スポーツ編集

スポーツ施設編集

  • 新潟県立佐渡スポーツハウス

ライフライン編集

電力編集

佐渡市には、2つの火力発電所両津相川)と4つの水力発電所(新保川・水沢・梅津・白瀬)、計6つの発電所があり、島内に電気を独自供給している。本土からのケーブルによる電気供給形式ではない[2]

新潟県電源周波数50Hz東北電力の事業地域だが、佐渡市は電源周波数60Hzで供給されている(同県、妙高市糸魚川市の一部も60Hz[3])。これは、三菱鉱業株式会社(現・三菱マテリアル)が管轄する「佐渡鉱山」の60Hzの発電設備に合わせたことによる[要出典]

ガス編集

都市ガスは、両津地区の一部で佐渡ガスが供給している。地形上の制約もあり、大半の地区ではLPガスを使用する。

電話編集

市外局番は全域0259(佐渡MA)。

元来、佐渡の北東部に両津(旧両津市及び新穂村)と南西部に佐和田の2つのMA(3分8.5円で通話できる区域)が存在していたが、島内全市町村が新設合併して同一自治体となったことを考慮し、2005年(平成17年)6月1日に統合された。

交通編集

公共交通編集

かつて、1922年大正11年)改正の鉄道敷設法別表第56号における「佐渡国夷ヨリ河原田ヲ経テ相川ニ至ル鉄道」として「夷(両津) - 河原田 - 相川」の路線を営業区間とする佐渡鉄道(仮称)が計画されたものの、未開業のまま終わっている。

一方、バスは1913年(大正2年)には秀明館が両津 - 相川を開業、1916年(大正5年)には高津昇之助(後の小木自動車)が小木 - 河原田を開業、1918年(大正7年)に渡部七十郎(後の佐渡自動車商会→扶桑自動車商会)が両津 - 相川、両津 - 新町 - 河原田を開業、1923年(大正12年)に羽茂自動車が河原田 - 小木を開業、1924年(大正13年)に細野卯八が松ヶ崎 - 新町を、1925年(大正14年)には河口菊蔵が多田 - 畑野を、山松商会が馬首 - 両津 - 河崎を、植田豊吉(後の丸一自動車)が両津 - 相川をそれぞれ開業している。

その後、小木自動車と羽茂自動車が合併し、前佐渡自動車を設立。細野卯八と河口菊蔵が赤泊自動車を設立。扶桑自動車商会と丸一自動車と前佐渡自動車が合併し、佐州合同自動車(後に佐渡乗合自動車に改称)を設立している。1937年(昭和12年)に佐渡乗合自動車は新潟合同自動車と合併し、1943年(昭和18年)の陸運統制令に基づく統合で、新潟交通となった。

戦後、国鉄国鉄バス)が佐渡島内の路線バス事業に参入する計画があったが、実現に至らなかった。

バス編集

島内の公共交通機関は路線バスのみ。島内の全路線が新潟交通グループの新潟交通佐渡によって運営されている。また、JTB時刻表には、両津港バス停が中心駅として記載されている。

バスがワンマン化される以前は、各市町村の主要バス停留所には係員が配置され、鉄道等と同様「」と呼ばれていた。窓口では乗車券定期券のほか、佐渡汽船や新潟港 -新潟駅間のバス、さらに国鉄へそのまま1枚で乗り継ぎ可能な乗車・乗船券も発売されていた。現在も主要バス停付近の交差点名には「駅前」の名称が残っている。

  • 本線:両津埠頭 - 金井 - 佐和田 - 相川
  • 南線:佐和田 - 真野 - 畑野 - 新穂 - 両津
  • 東海岸線:両津埠頭 - 河崎 - 大川 - 片野尾
  • 内海府線:監督署前 - 和木 - 鷲崎 - 大野亀
  • 七浦海岸線:佐和田 - 二見 - 相川
  • 前浜線:小木 - 大橋 - 赤岩 - 赤泊 - 多田
  • 度津線:小木 - 一の宮入口 - 滝平 - 上川茂
  • 海府線:佐和田 - 尖閣湾 - 入川 - 岩谷口
  • 小木線:佐和田 - 真野新町 - 小泊 - 小木
  • 宿根木線:小木埠頭 - 琴浦 - 宿根木 - 強清水 - 深浦
  • 国仲線:佐和田 - 畑野十字路 - 新穂小学校前 - 佐和田
  • 岩首線:佐和田 - 畑野十字路 - 出又橋 - 柿野浦
  • 赤泊線:佐和田 - 真野新町 - 赤泊 - 小木
  • 金丸線:佐和田 - 金井 - 真野新町

道路編集

 
佐渡市小木の海岸道路沿いにある交通安全看板。「追い越し違反9000円、佐渡するめ500円」とあり、追い越し違反の罰金で名物のするめが18枚買えることを示唆してルールを守るよう訴えている

一般国道、県道編集

島内に高速道路はない。

一般国道は、国道350号の1路線が、両津、金井、佐和田、真野、羽茂、小木地区を経由して、島内を縦貫する。尚、佐渡汽船の両津航路と小木航路が、この350号の連絡航路となっている。

空港編集

両津地区秋津には、島唯一の空港である佐渡空港がある。

1958年(昭和33年)に新潟空港の場外飛行場として供用を開始し、翌1959年(昭和34年)から同空港との間の定期空路が就航。1971年(昭和46年)から県に移管し、空港として独立した。滑走路は延長890m、幅員25mと短く制限表面も狭隘なため、離着陸できるのは小型機に限定されており、ジェット機や中型機以上の機体は乗り入れられない。

佐渡 - 新潟間の定期コミューター空路は1996年(平成8年)以降、新潟県内を本拠とする旭伸航空が運航していたが、慢性的な赤字や同社の運航要員が高齢化するなどした影響から、2008年(平成20年)9月30日をもって運航を休止、同社は事実上解散となった。その後約三年間、空港は民間小型機の離着陸や救急搬送などに使用されるのみだった。

その後鹿児島県に本社を置く新日本航空が運航に名乗りを上げ、2011年7月29日から佐渡 - 新潟間の空路が再び運行されるようになったが、2014年3月28日、同社は安定運航に向けた体制整備のためとして同空路を無期限休止することを発表した。

なお佐渡空港については長年に渡り、滑走路の延伸・拡張や東京国際空港(羽田空港)など、大都市圏との空路開設に関する構想が何度か浮上しており、2008年10月にはATR 72型機を用いた佐渡空港〜新潟空港〜羽田空港のデモフライトが行われるなどしている[4]が、いずれも具体化には至っていない。

船舶編集

港湾編集

 
両津航路のジェットフォイル

離島という地理条件上、島外との交通の基幹は航路に頼ることとなる。島内には両津港、小木港の2つの重要港湾がある。新潟県本土側とは佐渡汽船が運航する、以下の3航路により結ばれている。両津航路にはカーフェリー「おけさ丸」「ときわ丸」とジェット推進式全没型水中翼船ジェットフォイル)「つばさ」「ぎんが」「すいせい」、小木航路には高速カーフェリー「あかね」のみ、両泊(りょうどまり)航路には高速船「あいびす」がそれぞれ運航されている。この他に二見港がある。

佐渡島内各港からの定期旅客航路
  • 両津航路(両津港 - 新潟港
  • 小木航路(小木港 - 直江津港
  • 両泊航路(赤泊港 - 寺泊港)

両泊航路は赤泊地区の赤港と、長岡市の寺港を結ぶ航路である。2005年(平成17年)6月までは、カーフェリーが運航されていた。自動車を利用する場合は関東地方から最も近く、利便性が高い航路ではあるものの、両港とも港湾施設の規模が小さく、両津航路・小木航路で就航しているものよりも小型のフェリーが就航していた。しかしこのフェリーの車両航送可能台数は39台(乗用車のみ)と少なく、更には島外からの観光利用が本土間の航路・航空路4路線のうち、僅か1割弱と伸び悩んでいたことから、2005年(平成17年)6月から高速船「あいびす」による高速船航路に転換された。だが荒天時には欠航となるケースが著しく多く、慢性的な赤字に陥ったことから、2009年(平成21年)以降、冬季間は全便運休となっている。また、小木航路はかつて2隻体制で運航していたが、こちらも慢性的な赤字に悩まされており、また使用船舶の老朽化なども影響して、2008年(平成20年)4月からは1隻体制となって運航本数を減便し、年末年始を除く冬季間は全便運休となっている(3航路の詳細は佐渡汽船を参照)。

2017年7月13日に船員の確保及び経営状況の厳しさから、両泊航路撤退を軸とした協議を申し入れる旨の発表があった[5]

かつて、戦後から1970年代にかけて、小木港と柏崎港を結ぶ航路が断続的に運航されていたが、不採算などの影響で既に廃止されている。また1975年(昭和50年)には、佐渡と能登半島立山連峰を広域観光圏とする構想の一環として、小木港と石川県珠洲市の飯田港を結ぶ航路が開設された。当時の小木町と珠洲市が航路開設を機に姉妹都市となるなど観光の基幹として期待されたものの、オイルショック後の不況や、利用客の伸び悩みなどもあり、1978年(昭和53年)をもって廃止された。

この他、小木港を拠点として観光船を運航する力屋観光汽船が島内外へのチャーター航路を運航している。

灯台編集

 
弾埼灯台とこの灯台が舞台の一つとなった「喜びも悲しみも幾歳月」の像

祭事・催事・名所・観光・旧跡編集

祭事・催事編集

名所・旧跡・観光編集

 
佐渡島で放鳥されたトキ
動画:矢島・経島

出身有名人編集

ゆかりの人物

  • 順徳天皇(1197年〜1242年):承久の乱にて配流。この地で崩御。真野にて火葬、遺骨は京都に埋葬された。佐渡にて皇女慶子女王・忠子女王・皇子千歳宮の3名の皇子女を儲けたとされ、3名の皇子女の墓所もある。また京都で儲けた皇子彦成王が親鸞の弟子となって善空房信念と称し、のち佐渡を訪れ、勝興寺(殊勝誓願興行寺)を開いたという。彦成王の墓所もある。
  • 生天目仁美声優1976年 - ):神奈川県出身となっているが、出生地はここである。

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集