佐竹 昌成 (さたけ まさなり、生没年不詳)は、平安時代後期から鎌倉時代武士佐竹昌義の子。革島義季(かわしまよしすえ)とも。

略歴

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治承4年(1180年)一族を挙げて金砂山城に籠り、頼朝軍と戦うも(金砂城の戦い)、上総広常の誘いに乗り頼朝軍に内通[1][2]。後に内通したことを疎まれ永蟄居

脚注

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  1. ^ PHP文庫 2004.
  2. ^ 20世紀日本人名事典. “佐竹昌成とは”. コトバンク. 2022年3月9日閲覧。

参考文献

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  • 『源平合戦・戦場の教訓―勝者と敗者、何が明暗を分けたのか』(2004年、PHP文庫

外部リンク

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