平岩 康長(ひらいわ やすなが、生年不明 - 天正18年(1590年5月)は、戦国時代武将。通称 助六郎

略歴

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平岩親重の子で徳川家康に仕えるも、後に榊原康政と不仲となり、仕えを辞して平岩親吉の家に蟄居した[1] [2]

天正18年(1590年)、小田原征伐において親吉の元で岩槻城を攻めるも戦死した。妻は本多重次の娘[1]

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜第7輯』(榮進舍出版部 、1918年、133p)

脚注

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  1. ^ a b 榮進舍出版部 1918, p. 133.
  2. ^ 平岩氏”. 2022年12月6日閲覧。