谷口春治
大日本帝国陸軍軍人
谷口 春治(たにぐち はるじ、1892年(明治25年)1月2日[1] - 1978年(昭和53年)12月14日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]
谷口 春治 | |
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生誕 |
1892年1月2日 日本 福井県 |
死没 | 1978年12月14日(86歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1914年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1892年(明治25年)に福井県で生まれた[1]。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業[3]。1938年(昭和13年)3月1日に野砲兵第10連隊長に就任し[2]、7月15日に 陸軍砲兵大佐に進級した[2]。野砲兵第10連隊長として日中戦争に出動し、徐州会戦、武漢作戦に参加[1][3]。1939年(昭和14年)に留守第2師団参謀長を経て[2]、1940年(昭和15年)に第52師団参謀長に就任[2]。
1941年(昭和16年)に陸軍少将に進級し[2]、1943年(昭和18年)に東部軍砲兵隊長に就任[2]。1944年(昭和19年)に砲兵監兼大本営陸軍幕僚附に就任し[4]、1945年(昭和20年)3月1日に陸軍中将に進級[2]。3月19日に本土決戦用主力師団である第44師団長に親補され[3]、茨城県小川に展開した[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。