権藤恕
大日本帝国陸軍軍人
権藤 恕(ごんどう はかる[1]、1897年(明治30年)2月19日[2] - 1945年(昭和20年)6月26日[1][2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[1]
権藤 恕 | |
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生誕 |
1897年2月19日 日本 宮崎県 |
死没 | 1945年6月26日(48歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1919年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
経歴
編集1897年(明治30年)に宮崎県で生まれた[2]。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第39期卒業[2]。1940年(昭和15年)3月9日、陸軍歩兵大佐進級と同時に支那派遣軍第3課長に着任し[1][3]、日中戦争に出動[2]。1942年(昭和17年)8月に陸軍大学校教官に転じ[3]、1943年(昭和18年)8月25日に船舶司令部兵器部長兼野戦船舶本廠長に就任[3][4]。
1944年(昭和19年)3月1日に陸軍少将に進級し[1]、12月30日に第3船舶輸送司令部附を経て[5]、1945年(昭和20年)2月1日に第13船舶団長に就任した[6]。5月23日に陸軍兵器行政本部補給部長に転じたが[2]、在任中の6月26日に死去[2][3]。同日任陸軍中将[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。