大妻茂澄
大日本帝国陸軍軍人
大妻 茂澄(おおつま しげすみ、1890年(明治23年)4月18日[1] - 1978年(昭和53年)4月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
大妻 茂澄 | |
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生誕 |
1890年4月18日 日本 高知県 |
死没 | 1978年4月21日(88歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1910年 - 1939年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1890年(明治23年)に高知県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期、陸軍大学校第32期卒業[2]。1934年(昭和9年)8月1日に陸軍砲兵大佐に進級し[3]、野砲兵25連隊長に就任した[3]。
1939年(昭和13年)5月15日に澎湖島要塞司令官に就任し[1]、7月15日に陸軍少将に進級した[3]。1939年(昭和14年)3月9日に待命[2]、3月22日に予備役に編入された[2]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。