遠藤春山
遠藤 春山(えんどう はるのぶ[1]、1885年(明治18年)2月9日[2] - 1967年(昭和42年)10月7日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
遠藤 春山 | |
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生誕 |
1885年2月9日 日本 岩手県 |
死没 | 1967年10月7日(82歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1907年 - 1941年 1944年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴
編集1885年(明治18年)に岩手県で生まれた[2]。陸軍士官学校第19期卒業[3]。1936年(昭和11年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に岡山連隊区司令官に着任[1]。1939年(昭和14年)3月に陸軍少将進級と同時に留守第4師団司令部附となり[1]、1940年(昭和15年)3月9日に南支那方面軍司令部附を経て[2]、12月6日に独立混成旅団第19旅団長(支那派遣軍・第23軍)に就任し[2]、日中戦争に出動[2]。汕頭周辺の守備に就き[2]、1941年(昭和16年)10月15日に待命[1]、12月2日に予備役に編入された[2]。
1944年(昭和19年)7月8日に召集され大阪連隊区司令官に就任[2]。8月8日に留守第4師団兵務部長に転じ[4]、1945年(昭和20年)3月31日に盛岡連隊区司令官兼盛岡地区司令官に就任した[5]。
脚注
編集- ^ a b c d 外山 1981, 250頁.
- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 136頁.
- ^ 太平洋戦争研究会 2010, 330頁.
- ^ 「第156号 昭和19年8月9日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120916500
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」11頁。
参考文献
編集- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 太平洋戦争研究会 編著『日本陸軍将官総覧』PHP研究所、2010年。ISBN 4569775527。