金成 増彦(かなり ますひこ、1904年5月4日 - 2003年9月10日)は、日本経営者富士電機社長、会長、福島放送会長を務めた。福島県出身[1]

経歴 編集

1928年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に富士電機に入社[1]1947年12月に取締役に就任し、1949年8月に常務、1956年5月に専務を経て、1958年5月には社長に就任[1]1964年11月に常任相談役に就任[1]

1960年11月に藍綬褒章1974年11月に勲二等旭日重光章を受章[1]

2003年9月10日心不全のために死去[2]。99歳没。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1999, か164頁.
  2. ^ 2003年 9月18日 日本経済新聞 朝刊 p43

参考文献 編集

  • 人事興信所 編『人事興信録 第40版 上』人事興信所、1999年。 
先代
和田恒輔
富士電機製造社長
1958年 - 1964年
次代
和田恒輔