中森孟夫
日本の教育家
中森 孟夫(なかもり たけお、1868年11月18日(明治元年10月5日)- 1946年(昭和21年)3月3日)は、日本の教育家[1][2]。
経歴・人物
編集近江の蒲生郡(現在の滋賀県日野町)に農家の子として生まれる[1][2]。その後は小学校の教師となり、村の青年を集い夜学校の創立に携わった。1890年(明治23年)には泰西簿記学校の設立に携わり[1][2]、後に京都高等学院等の多くの教育施設の設立にも携わる。
1902年(明治35年)には現在の京都橘学園(京都橘大学、京都橘中学校・高等学校)の前身となる京都女子手芸学校の設立にも携わり[1][2]、1909年(明治42年)に辞任するまで同学校の主任を務めた。1914年(大正3年)からは一度日本を離れ[1][2]、ハワイに移住しホノルル等の日本人学校にて教鞭を執った[1][2]。
脚注
編集外部リンク
編集- 建学の精神 | 学校法人 京都橘学園 - 京都橘学園 公式サイト