横尾 繁六(よこお しげろく、1883年明治16年)3月26日[1][2] - 没年不明)は、日本政治家兵庫県飾磨市(現・姫路市)長。

経歴

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佐賀県出身[1]1906年(明治39年)東京高等師範学校卒業[1]中国に渡り、上海中国公学校教授となる[1]。帰国後は佐賀市京都府宮津町(現・宮津市)の小学校や商業学校校長、佐賀県師範学校教諭を務める[1]

その後、神戸市視学、同教育課長、神戸区長、同市経理部長を歴任する[1]

1940年(昭和15年)11月飾磨市長に就任[1]。市長は1942年(昭和18年)12月まで務めた[1]。市長退任後は大政翼賛会神戸市事務局長となった[1]

戦後、公職追放を受けた[3][注 1]

著書

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  • 『最新初学年児童教育法』興成館書店、1915年。
  • 『実際的統一的小学校校規規範』目黒書店、1917年、(共著)。

脚注

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注釈

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  1. ^ 氏名は「横尾繁」と記載。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『大衆人事録』第14版、近畿、中国、四国、九州篇、兵庫186頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』307頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、761頁。NDLJP:1276156  公職追放の該当事項は「翼賛神戸市事務局長」。

参考文献

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