梅園実清
梅園 実清(うめぞの さねきよ)は、江戸時代前期の公卿。官位は正三位・右兵衛督。梅園家初代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
---|---|
生誕 | 慶長14年(1609年)9月16日 |
死没 | 寛文2年(1669年)6月25日 |
官位 | 正三位、右兵衛督 |
主君 | 後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇→霊元天皇 |
氏族 | 橋本家→梅園家 |
父母 |
実父:橋本季景 養父:橋本実勝 |
兄弟 | 橋本実村 |
妻 | 家女房 |
子 | 友清、季保、石川憲之室 |
概要
編集承応元年(1652年)には従三位に叙され公卿となった。明暦元年(1655年)には正三位・右兵衛督に叙任されている。寛文2年(1669年)6月25日に54歳で死去した[1]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻(霞会館、1996年)