金玉衡
金 玉衡(キム・オッキョン、朝鮮語: 김옥형、1923年12月4日 - 2009年1月3日)は、大韓民国の実業家、政治家、教育者。第5代韓国国会議員、初代総務処次官、第3代漢城大学(現・漢城大学校)学長を歴任した[1][2]。
本貫は羅州金氏。号は白檀(ペクタン、백단)、キリスト教徒[1]。金 玉䚘(読み、ハングル同)という表記も見られる[2]。
経歴
編集日本統治時代の全羅南道務安郡出身。ソウル大学校工科大学機械工学科卒。木浦大陸ゴム工業株式会社監査役を務めた後、1963年12月19日から1965年12月14日までに初代総務処次官、1979年2月21日より1982年2月までに第3代漢城大学学長を務めた[2]。また、1960年の第5代総選挙で民主党から出馬し、国会議員を1期務めたほか、民主党務安甲区党委員長も務めた[1]。