永井直養
永井 直養(ながい なおのぶ)は、江戸時代後期の大名。大和新庄藩の第6代藩主。永井家宗家10代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和3年6月11日(1803年7月29日) |
死没 | 嘉永7年閏7月14日(1854年9月6日) |
別名 | 伝八郎(通称) |
戒名 | 仁翁爛義勇恭院 |
墓所 | 東京都中野区上高田の功運寺 |
官位 | 従五位下、信濃守、播磨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 大和新庄藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井直方、母:北条氏昉の娘 |
妻 | 正室:松平信明の娘・睦 |
子 | 養子:直幹 |
享和3年(1803年)6月11日、第5代藩主永井直方の長男として生まれる。文政8年(1825年)4月10日、父の隠居により家督を継いだ。文政10年(1827年)と嘉永元年(1848年)に日光祭祀奉行となる。天保の大飢饉においては倹約を率先して行い、領民に対しては出稼ぎを禁止するなどした。嘉永3年(1850年)10月、養子の直幹に家督を譲って隠居し、嘉永7年(1854年)閏7月14日に死去した。享年52。