ジャン=バティスト・ルイエ・ド・ガン

ジャン=バティスト・ルイエJean-Baptiste Lœillet (de Gand), 1688年7月6日1720年頃)は、スペイン領ネーデルラント(現ベルギー)のヘント出身の作曲家。生涯の大半をフランスに過ごし、リヨン大司教ポール=フランソワ・ド・ヌイヴィル・ド・ヴィルロワに仕える。数多くのフルート作品を手懸け、トリオ・ソナタや2本のフルートのための無伴奏ソナタ、フルート・ソナタがある。1710年から1717年にかけてアムステルダムでしめて48曲のリコーダー・ソナタが出版されており、後にこれらはロンドンでウォルシュ社により1712年から1722年にかけて再版された。

当記事の作曲家は、ロンドンで有名になった同名の従兄との混乱を避けるために、自ら姓に "de Ghent" (フランス語では de Gand(ド・ガン))を加えた(このような取り違えは近代以降も生じており、アレクサンドル・ベオンが「ジョン・ルイエ」のトリオ・ソナタを校訂した際、誤って当記事のルイエの作品として出版した)。現在ジャン・ルイエは、「ジャン・バティスト・ルイエ(ヘントのルイエまたはガンのルイエ)」と呼ばれている。

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