有馬 久保(ありま ひさやす)は、江戸時代後期の大名上総五井藩第3代藩主。氏倫系有馬家7代。

 
有馬久保
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年(1779年
死没 文化11年7月16日1814年8月30日[要出典]
別名 揚次郎、六左衛門(通称
戒名 竜光院殿宝岳義英大居士
墓所 東京都渋谷区広尾の祥雲寺
官位 従五位下、備後
幕府 江戸幕府
上総五井藩
氏族 加納氏摂津有馬氏
父母 加納久周松平信礼娘・禎
有馬氏保
兄弟 加納久慎久保大岡忠正本多忠和
大岡忠固、延姫、稲葉正武継室
有馬氏保の娘
氏貞九鬼隆都正室、泉姫
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生涯

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第3代伊勢八田藩加納久周の次男として生まれる。

寛政2年(1790年)7月、五井藩主有馬氏保が29歳で死去するが、臨終に際して久保が婿養子として家督を継ぐこととなった。同年9月23日に正式に遺領相続が認められ、12歳で藩主となる。

寛政6年(1794年)8月15日、将軍徳川家斉に初謁する。同年12月16日、従五位下・備後守に叙せられる。寛政8年(1796年)2月15日、初めて領国に入るための暇を得ている。

文化11年(1814年)に死去し、跡を嫡男の氏貞が継いだ。

系譜

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父母

正室

子女

参考文献

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