レイモンド・パトリアルカ

レイモンド・ロレダ・サルヴァトーレ・パトリアルカ(Raymond Loreda Salvatore Patriarca, Sr.、1908年3月18日 - 1984年7月7日)はアメリカマフィア集団の一つでニューイングランドを仕切っているパトリアルカ一家のボス。息子は同じくパトリアルカ一家のボスのレイモンド・パトリアルカ・ジュニア

レイモンド・パトリアルカのマグショット(1930年代)

概要 編集

マサチューセッツ州ウースターの貧しいイタリア移民の子として生まれる。10歳の頃からギャングに入り20歳になるまでに4回の逮捕歴があった。頭の切れと口の堅さで有名だった。身体も眼も声も大きかったことから「ミスター・ビッグ」と呼ばれていた。

彼がその名を知らしめたのは1920年代の禁酒法の時代で、当時闇酒の販売、輸送トラックの乗っ取り、ボディーガード、強制売春や八百長賭博の仕事に関わっていた時期に、当時のニューイングランドのボスのフランク・イヤコーネに度胸をかわれて組織に入る。その後、さらにのし上がるため、ボスのイヤコーネを友人のラッキー・ルチアーノに頼んで暗殺した。

その後、ロードアイランド州の州都プロヴィデンスでナショナル・シガレット・サービス・カンパニーという煙草販売会社を経営し、他にも不動産業も経営して、表の顔は実業家、裏の顔はロードアイランド、ニューイングランド全体を支配するマフィアのボスにまでなった。

1949年に2年に1度行われる賭博パーティでディーラーを務めるはずのジョセフ・ピーター・ラッジが暗殺されたので、代わりをモンタナ・ジョーに依頼した。パーティーにはカルロ・ガンビーノヴィト・ジェノヴェーゼジョゼフ・ボナンノらが集まった。

後に、ジョゼフ・ヴァラキは「パトリアルカは、マフィアになるために生まれてきた男だ」と特別捜査官に語ったという。

晩年は心蔵病と糖尿病に苦しみ、1984年に死去した。彼の死後、組織はプロヴィデンス派とボストン派に分裂し、抗争を繰り返して衰退した。

外部リンク 編集