谷文二
江戸時代後期の画家
谷 文二(たに ぶんじ、文化9年(1812年) - 嘉永3年5月15日(1850年6月24日))は、江戸時代後期の日本の画家である。谷文晁の後継者として将来を嘱望されたが若くして歿した。
略伝
編集号は萍所、名を義宣、通称は文二郎と称した。谷文晁の長男。後妻 阿佐子との間に生まれる。画は文晁に受ける。才能は義兄 文一に劣ったものの文晁の秘蔵っ子として寵愛を受ける。そのためか、我が侭に育ち直情的な性質だった。遊女と役者を極端に嫌い、得意客であっても棍棒を投げて追い返したほどだった。 享年39。浅草清島町源空寺に葬られる。子に文中(文晁の孫)がいる。
作品
編集脚注
編集出典
編集- 渥美国泰『写山楼谷文晁のすべて 今、晩期乱筆の文晁が面白い』里文出版、2001年、 ISBN 4898061729。
- 吉岡班嶺『谷文晁及其直系』<真偽評価 書画鑑定指針> 帝国絵画協会、1926年。