ミナルディ・M185 (Minardi M185) は、ミナルディ1985年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。ミナルディがコンストラクターとして最初に開発したF1マシンである。デザイナーはジャコモ・カリーリ。決勝最高成績は8位。

ミナルディ・M185 / M185B
1985年ヨーロッパグランプリ
カテゴリー F1
コンストラクター イタリアの旗 ミナルディ
デザイナー ジャコモ・カリーリ
後継 ミナルディ・M186
主要諸元
シャシー カーボンファイバー モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン
エンジン 1985年: フォード コスワース DFV, NA, 3.0リッター, 90度 V8;
1986年: モトーリ・モデルニ Tipo 615-90, t/c, 1.5リッター, 720馬力, 90度 V6, ミッドエンジン
トランスミッション ミナルディ製 M101, 5速, MT
重量 550kg
燃料 アジップ
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム ミナルディ・チーム
ドライバー イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ
イタリアの旗 アンドレア・デ・チェザリス
イタリアの旗 アレッサンドロ・ナニーニ
初戦 ブラジルの旗 1985年ブラジルグランプリ
出走優勝ポールFラップ
32 (30 start)000
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開発と経緯 編集

M185は、1984年イタリアグランプリでのF1参戦を目指しカリーリが設計したミナルディ・M184がベースとなっている。M184ではアルファロメオ製V8エンジンを搭載し、アレッサンドロ・ナニーニピエルルイジ・マルティニによってテストも行われたが[1]、アルファロメオ社長がミナルディとのF1プロジェクトに急な難色を示したため、1984年中のF1デビュー参戦計画は流れた。ジャンカルロ・ミナルディは計画を練り直し、1985年のデビューを目指してM185には自然吸気のコスワースV8エンジンが搭載された。M185はエンジンを載せ換えた以外はM184をほぼ引き継いでいる[2]

1985年シーズン 編集

ミナルディは正式に、ピエルルイジ・マルティニの1台体制で1985年のF1世界選手権にエントリー登録した。当初はナニーニの1台体制で参戦するつもりだったが、FISAがナニーニへのスーパーライセンス発給を認めなかったため、前年にスポット参戦でF1デビューしライセンス上問題が無かったマルティニの起用となった[3]

1985年の開幕戦ブラジルGPで、ミナルディチームはM185によってF1実戦デビューした。序盤の2戦は自然吸気のフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したが、第3戦サンマリノGPからモトーリ・モデルニのV6ターボを搭載した。このエンジンは元フェラーリアルファロメオのエンジン設計技師であるカルロ・キティが、アルファロメオのモータースポーツ部門「アウトデルタ」から独立し、自らの会社「モトーリ・モデルニ」を設立してわずか5ヶ月という期間で作り上げてしまったエンジンだった[4]。バンク角90度のV型6気筒エンジンにKKK製ツインターボを装着した。

しかしM185は決勝レースを完走することに苦労した。マシンの信頼性の低さ、マルティニのF1での経験不足からリタイアを繰り返し、第9戦西ドイツGPでようやく初完走を果たす。その後は第13戦ベルギーGPで12位、第16戦オーストラリアGPで8位(完走8台の最下位)と、全16戦で3度しか完走できず、選手権ポイントを獲得することはできなかった。

1986年シーズン 編集

1986年は改良型のM185Bが投入された。チームは2台エントリーとなり、キャリア豊富なアンドレア・デ・チェザリスがNo.1ドライバーとして加入した。2台目には前年にライセンス問題でF1デビューを見送ったアレッサンドロ・ナニーニにスーパーライセンスが認められ、ついにF1への参戦権利を得た。しかしB185は特にモトーリモデルニのエンジン関連のトラブルが多く、この年もリタイアを繰り返した。デ・チェザリスはM185Bでは一度も完走することなく、ドイツGPから新車M186に乗ることになった。チームはM186を同年中1台しか完成できなかったため、ナニーニは最終戦までM185Bで参戦した。ナニーニは第15戦メキシコGPで完走し14位に入った。チームはこの年もポイントを獲得することはできなかった。

1987年開幕戦までにチームはM186を3台追加で完成させることに注力し、1987年の準備を整えることに成功したため、M185Bの参戦は終了した。

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1985年 M185 フォード コスワース DFV[5]
モトーリ・モデルニ, V6T
P BRA
 
POR
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
AUT
 
NED
 
ITA
 
BEL
 
EUR
 
RSA
 
AUS
 
0 -
29   マルティニ Ret Ret Ret DNQ Ret Ret Ret Ret 11 Ret Ret Ret 12 Ret Ret 8
1986年 M185B モトーリ・モデルニ
Tipo 615-90

1.5, V6T
P BRA
 
ESP
 
SMR
 
MON
 
BEL
 
CAN
 
DET
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
AUT
 
ITA
 
POR
 
MEX
 
AUS
 
0 -
23   デ・チェザリス Ret Ret Ret DNQ Ret Ret Ret Ret Ret
24   ナニーニ Ret DNS Ret DNQ Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret Ret 14 Ret

参照 編集

  1. ^ M184 Archivi ミナルディ公式ウェブサイト
  2. ^ DRIVERS WHO ALMOST MOVED TOWARDS MINARDI UNRACED F1 2019年8月11日
  3. ^ The history of the Minardi Team ミナルディ公式ウェブサイト
  4. ^ 明日のトップコンストラクターを夢見る新興チームたち Minardi M186 (1986-87) MOTOR GRAPHIX F-1 月刊モデルグラフィックス別冊 77頁 大日本絵画 1987年11月30日発行
  5. ^ シーズン開幕2戦のみで使用された