ミナルディ・M189 (Minardi M189 ) は、ミナルディ1989年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはアルド・コスタ

ミナルディ・M189
ピエルルイジ・マルティニとM189 (アデレード・モータースポーツ・フェスティバル2016)
ピエルルイジ・マルティニとM189
(アデレード・モータースポーツ・フェスティバル2016)
カテゴリー F1
コンストラクター イタリアの旗 ミナルディ
デザイナー アルド・コスタ
(テクニカルディレクター)
ナイジェル・コパースウェイト
(チーフデザイナー)
トマソ・カルレッティ
(デザインヘッド)
先代 ミナルディ・M188B
後継 ミナルディ・M190
主要諸元
シャシー カーボンファイバー アルミニウムモノコック
エンジン フォード コスワース DFR 3.5リッター, 595馬力, 90度 V8, NA, ミッドエンジン
トランスミッション ミナルディ製, 前進6速 + 後進1速, MT
重量 505kg
燃料 アジップ
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム ミナルディF1チーム
SCM・ミナルディF1チーム
ドライバー イタリアの旗 ピエルルイジ・マルティニ
スペインの旗 ルイス・ペレス=サラ
イタリアの旗 パオロ・バリッラ
初戦 メキシコの旗 1989年メキシコグランプリ
出走優勝ポールFラップ
15000
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開発と経緯 編集

1989年は開幕からの3戦を昨年型のM188Bで戦い、M189のデビュー戦は第4戦のメキシコGPとなった。エンジンは前年ベネトンが使用し、この年から市販されたコスワースDFRを搭載。タイヤはピレリ製。

本来は前年に開発中だったモトーリモデルニ・スバルの水平対向12気筒エンジンの契約を打診されて仮契約しており、M189はエンジンの完成次第換装が可能な設計になっていた。しかし1989年シーズン中にエンジンは完成しなかったため、結局実戦投入は無かった。シーズンオフテストで実際に換装されたが重量の重さなどの問題が山積みし、とても戦力になる代物ではないとミナルディ側から契約を破棄している。

デビュー後はリタイア・予選落ちを繰り返し、シーズン後半戦は予備予選組にまわる可能性が高かった。しかし、前半戦最後のイギリスGPでピエルルイジ・マルティニが5位、ルイス・ペレス=サラが6位とダブル入賞を果たしたことで、予備予選行きを回避することができた。

その後は完走率も向上し、マルティニはポルトガルGPで5位、オーストラリアGPで6位に入賞した。終盤戦はピレリの予選用タイヤ(Qタイヤ)とマッチして、マルティニがポルトガルGP5位、スペインGP4位、オーストラリアGP3位(マクラーレンホンダの2台に続く位置)という驚くべき予選成績を残した。マルティニが負傷欠場した日本GPでは、パオロ・バリッラが代役としてスポット参戦した。

チームは6ポイントを得、コンストラクターズランキング11位でシーズンを終えた。

1990年は開幕2戦のみ改良型のM189Bを使用し、マルティニとバリッラがドライブ。予選でのマルティニの好調は続き、開幕戦アメリカGPでは予選2位でチーム初(そして唯一)のフロントローに並んだ。しかし、マルティニは2戦とも完走したもののポイント獲得ならず、バリッラは2戦ともリタイアした。

第3戦からは新型のM190が投入された。

 
1989年ベルギーGPのスタート

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1989年 M189 フォード コスワース
DFR
3,5 V8
P BRA
 
SMR
 
MON
 
MEX
 
USA
 
CAN
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
JPN
 
AUS
 
6 11位
23   ピエルルイジ・マルティニ Ret Ret Ret Ret 5 9 Ret 9 7 5 Ret 6
23   パオロ・バリッラ Ret
24   ルイス・ペレス=サラ DNQ Ret Ret DNQ 6 DNQ Ret 15 8 12 Ret Ret DNQ
1990年 M189B フォード コスワース
DFR
3,5 V8
P USA
 
BRA
 
SMR
 
MON
 
CAN
 
MEX
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
HUN
 
BEL
 
ITA
 
POR
 
ESP
 
JPN
 
AUS
 
0 -
23   ピエルルイジ・マルティニ 7 9
24   パオロ・バリッラ Ret Ret

脚注 編集