日米核持ち込み問題
日米核持ち込み問題(にちべいかくもちこみもんだい)とは、日本への核兵器の持ち込みに関する問題。
概要
1957年(昭和32年)に岸信介内閣総理大臣が「私はこの原子部隊を日本に進駐せしめるというような申し出がありました場合においても、政府としてこれに承諾を与える意思はもっておりません」と国会で答弁し、核兵器を装備した部隊の日本駐留を拒否する答弁を行った。
1967年(昭和42年)に佐藤栄作内閣総理大臣が「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則を打ち出し、衆議院において非核三原則を遵守する旨の国会決議が行われた。「日本に他国から核兵器を持ち込まさせない」ということで1974年(昭和49年)に提唱者の佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞した。
それ以降の歴代内閣は非核三原則の厳守を表明しており、非自民首相であった細川護熙、羽田孜、村山富市も非核三原則の遵守を表明していた。
アメリカによる核の持ち込みの可能性について日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としていたが、「核を持ち込ませず」が実際に守られていたかどうかは疑わしい点が多い。
ただし、冷戦の終結以後、米軍では艦船や戦闘機等から運用される戦術核兵器の廃棄が進んでいることに加え、米海軍はSLBMを除く核兵器の運用を停止している。在日米空軍において運用能力(搭載能力)を持つ戦闘機は三沢基地配備のF-16と嘉手納基地配備のF-15になるが、核兵器を集積する基地には厳格な保安手順が存在し、核兵器が配備された場合には保管場所を中心に広い警備区域が設定される。区域内では常にツーマンセル(二人一組)での行動が義務付けられ、警備要員は実弾の支給を受けており、不審者や単独で行動する者には射殺の許可が事前に与えられるという非常に厳しい物である。在日米軍基地でこれらの警備状況に変化があれば、容易に確認できることになろう[要出典]。また、自衛隊は在日米軍が日本国内で核兵器を運用する状況について何ら訓練を行っていないことからも、三沢基地のような自衛隊との共同運用を行う基地に核兵器を持ち込むことには困難が存在するし、嘉手納基地配備のF-15は機体としては核兵器の運用能力を保持するものの、制空戦闘機として運用されており核攻撃の訓練を行っていない(戦闘機からの核攻撃は、核爆発の影響から逃れるためのトスボミングが基本となるが、低空で高Gがかかる機動にはそれなりの訓練が必要であり、そのような訓練を国内の射爆場で行えば日本側の知るところとなる)[要出典]。加えて、米軍再編の結果、米本土からの兵力投射へ方針が転換したこともあって、前進配備を行えば警備コストが増大しテロの対象となるリスクも高まる核兵器を、わざわざ日本に持ち込む軍事的効能そのものがほとんど無くなっている[要出典]。
政府の対応
アメリカ軍が核兵器を持ち込んだとされる例
なおアメリカは、自国艦船の核兵器の搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港するアメリカ海軍の艦船が核兵器を保有していないとは軍事の常識としてあり得ないとされる。
実際にエドウィン・O・ライシャワー元駐日アメリカ大使は、1981年(昭和56年)に毎日新聞の古森義久記者の取材に対して「日米間の了解の下で、アメリカ海軍の艦船が核兵器を積んだまま日本の基地に寄港していた」と発言したことを受け、「非核三原則」違反を元アメリカ大使が認めたとして日本国内で騒動になった。「核兵器搭載艦船は日本寄港の際にわざわざ兵器を降ろしたりしない」の「ラロック証言」と並び有名な「ライシャワー発言」である。
なお、後の1999年(平成11年)には、日本の大学教授がアメリカの外交文書の中に「1963年(昭和38年)にライシャワーが当時の大平正芳外務大臣との間で、日本国内の基地への核兵器の持ち込みを了承した」という内容の国務省と大使館の間で取り交わされた通信記録を発見し、この発言を裏付けることになった。
また、2008年(平成20年)11月9日放映の『NHKスペシャル』「こうして“核”は持ち込まれた~空母オリスカニの秘密~」において、朝鮮戦争時の1953年(昭和28年)にアメリカ海軍の航空母艦「オリスカニー」が核兵器を搭載したまま日本の横須賀港に寄港していたことが明らかになった[1]。
さらにライシャワー元駐日大使の特別補佐官を務めたジョージ・パッカード米日財団理事長がアメリカの外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」2010年3・4月号へ寄稿したところによると、アメリカ軍がベトナム戦争中の1966年(昭和41年)に、日米安全保障条約に違反して、返還前の沖縄にあった核兵器を日本政府に無断で本州に移したことがあったといい、1972年(昭和47年)の沖縄返還までアメリカ軍がたびたび日本政府とアメリカ国務省の要請をはねつけ、同様の核持ち込みを行っていたことも示唆している[2][3]。パッカードはまた毎日新聞の取材に、米軍が1966年の少なくとも3カ月間、岩国基地沿岸で核兵器を保管していたと証言した[4]。
なお、1991年(平成3年)の冷戦終結に伴い、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領が地上配備の戦術核兵器と海上配備の戦術核ミサイルの撤去を宣言したことで、平時において核搭載艦船が寄港するなどの形で日本への核持ち込みは無くなったとされる。
日本政府の対応
核の持ち込みについて、日本政府は以下のような表明を行っていた。
- 岸・ハーター交換公文において、日本への核の持込には事前協議が必要とされている。
- 今まで事前協議が行われたことは一度もないので、核が持ち込まれたことも無い。
- 事前協議があれば核持ち込みを拒否する。
この見解は、1960年に旧安保条約から新安保条約へと改訂した際に、横路節雄の質問に対して岸内閣の防衛庁長官であった赤城宗徳が行った答弁から一貫して続いていた。[5]
2009年6月1日、共同通信と関係のある地方紙は、核搭載船の日本寄港に関するスクープ記事を発表した。それらの記事で、各紙は、匿名の外務次官経験者へのインタビューをもとに、「有事の際に核再持ち込みを日本政府が認める」という内容の密約(核密約)が存在する、と主張し、核密約への疑惑が再燃した。これに対し、同年6月5日、麻生内閣の外務大臣である中曽根弘文は、国会での答弁で核密約の存在を否定した。[6]
一方、同年9月16日に鳩山由紀夫内閣で外務大臣となった岡田克也は、密約について調査し11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。[7]ここで、調査の対象となった密約は4項目であり、そのうち2つが日米間の核持ち込みに関するものである。
- 1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」
- 同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」
- 1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みな関する「密約」
- 同じく、沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」
この調査命令に関し、同年9月18日、来日していたアメリカ合衆国東アジア・太平洋担当国務次官補のカート・キャンベルは、持込みに関する密約は事実存在し「非核三原則」は有名無実である旨言明した。[8]
この調査命令の結果、同年9月25日に外務省内に調査班が、同年11月27日に北岡伸一をはじめとする省外の有識者委員会が発足した。そして2010年3月9日、外務省と有識者委員会は「いわゆる「密約」問題に関する調査結果」として、まとめられた調査の内容を公表した。[9]
問題
核兵器の持ち込みの定義
アメリカ軍のみに容認する「核兵器の持ち込み」の定義については、日米間に相違があった。すなわち、米国政府の理解は、「持込み(introduction)とは核兵器の配置や貯蔵を指すものであり、それ以外は、「transit」として一括し、「transit」には寄港、通航、飛来、訪問、着陸が含まれ、共に事前協議の対象外であるとするもの」である。これに対して日本側では、「transit」も「持ち込み」に当たると解釈する。この米国側の解釈と日本側の解釈の違いが、さまざまな混乱の元であるとされている[10]。
実際、他の事例で言えば、旅客機が最終目的地までの飛行の途中で他の空港に立ち寄ることがあるが、これは「トランジット」と呼ばれており、立ち寄り空港のある国のビザなどは必要とされない。また、貨物船がある国に寄港する場合にも、貨物をその国に通関させない限り、何らの手続きを要しない。以上のことから、国際的には、たとえ貨物が核兵器であっても、単なる寄港の場合は、その国に持ち込んだことにはならない、との解釈が常識的である。[要出典]2010年(平成22年)1月、岸政権下の1960年(昭和35年)に外務事務次官を務めた山田久就が、国会で事前協議に関して為した答弁「通過・寄港も対象」は野党の追及をかわすための嘘であり、実は対象外にされていたことが、公開されたインタビュー録音から判明した[11]。
日米政府の公文書公開により、核の持ち込みの定義が日米間で不一致であることを知られるようになった。2010年(平成22年)3月に発表された日本の外務省調査委員会は明文化された日米密約文書はないとしながらも、日本の政府高官が核の持ち込みの定義が日米間で不一致であることを知りながらも米国に核の持ち込みの定義の変更を主張していないことなどを理由に、核の持ち込みについて広義の密約があったと結論付けた。
日米政府の公文書公開により、寄港などの形で核持ち込みを知っていた政府高官は以下の通り。内閣総理大臣経験者として岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、橋本龍太郎、小渕恵三。外務大臣経験者として愛知揆一、木村俊夫、鳩山威一郎、園田直、大来佐武郎、伊東正義、桜内義雄、安倍晋太郎、倉成正、三塚博、中山太郎。内閣官房長官経験者として二階堂進。
緊急事態における沖縄への核再持ち込み密約
1994年(平成6年)に佐藤首相の密使を務めたとされる若泉敬が「1969年(昭和44年)11月に佐藤・ニクソン会談後の共同声明の背後に、有事の場合は沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという秘密協定に署名した」と証言している。
2010年(平成22年)3月に鳩山内閣の調査報告書が出された。調査報告書では佐藤がリチャード・ニクソンと有事の際に沖縄への核持ち込みについて、事前協議が行われた際には日本側が「遅滞なく必要を満たす」ことが明文化された密約文書が確認されたが、外務省の中で引継ぎがされた形跡がないという理由から日本政府として米国政府と密約したことは確認できないと結論づけた。一方で内閣は鈴木宗男からの質問主意書に対して「発見された佐藤・ニクソン会談議事録は真正文書であると考える」旨の答弁書を閣議決定している。
脚注
- ^ こうして“核”は持ち込まれた~空母オリスカニの秘密~
- ^ 米、本州に66年核持ち込み…元駐日大使補佐官 読売新聞 2010年2月24日
- ^ The United States-Japan Security Treaty at 50 Foreign Affairs March/April 2010
- ^ 核持ち込み:「岩国で核保管」 66年に3カ月以上-元駐日米大使補佐官 毎日新聞2010年3月7日
- ^ 衆議院会議録情報 第034回国会 日米安全保障条約等特別委員会 第20号
-
^ 第171回国会 外務委員会 第13号(平成21年6月5日)
[1]従来から政府が申し上げておりますとおり、この密約は存在しないわけでありまして、これは歴代の総理大臣及び外務大臣がこのような密約の存在というものは明確に否定をしているわけで、委員が今お出しになられた資料にも書いてあるとおりでございます。
- ^ 岡田外務大臣会見記録(平成21年9月17日(木曜日)0時50分~ 於:外務省会見室)
- ^ 核密約は歴史的事実 米国務次官補、日本の調査に理解共同通信2009年9月18日
- ^ いわゆる「密約」問題に関する調査結果
- ^ 1984年7月16日 参議院議員 秦豊による質問主意書 第10~14
- ^ 核密約、国会対策でうその答弁 元次官証言テープ見つかる・内容共同通信2010年1月22日
文献
- 不破哲三「日米核密約」新日本出版社 ISBN 9784406027465
- 中馬清福「密約外交」文藝春秋(文春新書) ISBN 4166602918
関連項目
外部リンク
- 「核が持ち込まれていたかもしれない日本」All About
- 核密約文書現存、佐藤元首相宅に保管 日米首脳の署名(朝日新聞)
- キーワード「核密約」(しんぶん赤旗)
- いわゆる「密約」問題の調査について(外務省版)
- 「密約」問題外務省調査報告書(毎日新聞版)