矢島正明

日本の男性声優 (1932-)

矢島 正明(やじま まさあき、1932年昭和7年〉4月17日[4][5][2] - )は、日本男性声優ナレータープロダクション・エコー所属[6]東京府(現・東京都)出身[2][1]

やじま まさあき
矢島 正明
プロフィール
本名 矢島 正明[1]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本東京府
(現・東京都[2][1]
生年月日 (1932-04-17) 1932年4月17日(92歳)
血液型 O型[3]
職業 声優ナレーター
事務所 プロダクション・エコー
公称サイズ(1965年時点)[2]
身長 / 体重 160 cm / 60 kg
活動
活動期間 1957年 -
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来歴 編集

幼少期から近所の児童に紙芝居の読み聞かせをしていた。中学時代は木戸新太郎清水金一が出演する軽演劇に夢中になり、高校時代はムーランルージュ新宿座に通っていた。これらが声優の仕事の下地になったという[7]

明治大学文学部演劇学科に入学。この頃「演劇の世界で生きていきたいが自分は舞台栄えがしない」と思い「声が僕の一つの劇的な表現の道具になっているのかもしれない」というような思いがあったことから放送研究会に入る[7]。1953年(昭和28年)9月に劇団生活舞台に入団し、1957年(昭和32年)4月まで所属[2]。初舞台は『玄海灘』の辛有基役[2]

大学卒業後の1955年(昭和30年)、プレイヤーズ・センターに所属[8]1957年9月(昭和32年)に劇団テアトル・エコー入団[1][2]吹き替えのデビュー作は、ラジオ東京テレビ(現TBS)放送の『海賊船サルタナ』での船長役だった[7]

1967年(昭和42年)に矢島プロダクションを設立しフリーとなる[1]。吹き替えやアニメは草創期から数多くの作品に出演。

ラジオテレビドラマドキュメンタリーCMテレビ番組など様々な媒体、数多くの作品でナレーターとして活躍。1975年には、三羽烏に入るナレーターとして黒沢良城達也と共に矢島の名が挙げられている[9]1960年代から1980年代にかけて、日産自動車のCMナレーション(車種CM、キャッチフレーズ、日産自動車グループ各社CM)を長い期間にわたって務めていた。大正製薬の「リポビタンD」、スタジオジブリ制作映画のCMナレーションも長い期間務めており、これらは現在も継続している。

また、クイズ番組(チャンスだピンチだベルトクイズQ&Qなど)では、出題ナレーターとして顔出しがあった。

2000年(平成12年)から東京シティオペラ協会の公演において、舞台に立ってナレーションを務めている。

2011年、第五回声優アワード功労賞を受賞[10]。また、声優の専門学校で後進の指導も行っている[11]

近年は足を悪くしているものの、NHK-FMラジオマンジャック』への出演や2022年には劇団一の会で卒寿記念の朗読公演を行うなど90歳を超えた後も現役で活動している[12]

人物 編集

普段の口調は「『鉄腕アトム』のヒゲオヤジそのものに近い」と自他共に語る。

吹き替えでの代表作は『0011ナポレオン・ソロ』(ナポレオン・ソロ)、『スター・トレック』(カーク船長)など[13]。また、2人を演じたロバート・ヴォーンウィリアム・シャトナーの吹き替えも持ち役とする。

同じく声優、ナレーターである矢島晶子と同姓のため、声優業界では名前で呼ばれることが多い。

仕事に対する姿勢 編集

基本的に声優一本で活躍してきた数少ない人物。

自分の本業をナレーターと考えており、「ラジオの生放送などに時間をとられ、どうしてもアテレコ収録とのスケジュールが合わなくて、わずかな時間で出来る"語り"の方へまわったんです」と語っている[14]。また「自分でプロ(の仕事)と言い切れるのは、吹き替えより、ナレーターとしての矢島正明」と述べたこともある[13]

インタビューなどにおいては厳しい指摘をすることがあり、1970年代半ばから「アテレコの質が下がっている」と述べており、「アテレコの本当の意味での評論家が出て来ていいと思うんです」「もっと日本語に対して神経質になって、ジャーナリズム関係でたたける所はたたいてほしいですね。せっかく一生懸命作った作品なんだから、アテレコも単なる効用だけでなく、アテレコに対してももっと厳しくすべきです。そうでないとアテレコのレベルはどんどん低下していくと思いますね」としている[14]。また、近年の業界の若手に対しては「近頃の吹き替えやナレーションには、聞けたもんじゃないと感じるものもある」「アニメの声を聴いていると、誰もみな同じようにセリフを言っている」と苦言を呈している[13]

エピソード 編集

1970年代のクイズ番組ブームには多くの番組で問題読み上げを担当。TBSベルトクイズQ&Q』には第1回から最終回まで一貫して出演した。

テレビ朝日クイズタイムショック』シリーズ(1969年〈昭和44年〉1月開始。2002年〈平成14年〉8月からは特番として継続)では、初回放送[15]から2014年まで問題出題を担当。司会者や番組のスタイルは変化して行ったものの、出題者は40年以上一貫して矢島であった。また、即答クイズ番組独特の、一問一答の緊迫感を醸し出す出題スタイルを確立した。2017年からは日暮哲也に交代し降板となったが、2019年9月25日放送分にて「敗者復活戦」のみの出題者として約3年ぶりに復帰。また決勝ステージの開会宣言として、かつて披露していた「OP口上」も再現した[16]

ロバート・ヴォーンとは来日時に対面したことがあり、握手の仕方のスマートさと挙措の美しさに感動したという。その後、記者会見の場で矢島が報道陣に交じって質問した際は「オー! マイ・ボイス(私の声の人)」と矢島を覚えていてくれたという[13]

1992年(平成4年)から1998年(平成10年)にかけて発売された『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』のシリーズのテーマを抽象するもっとも重要なゲストキャラクター・草間博士のキャスティングにおいて、声優界で最も強い声を持つ役者は誰だろうと思考された末、(監督の今川泰宏トレッキーであることもあって)選ばれたのが矢島である。それ以降、『鉄人28号』や『バーテンダー』など今川が関わっている作品への出演が多くなった。

出演作品 編集

吹き替え 編集

太字は、主役・メインキャラクター。

担当俳優 編集

ウィリアム・シャトナー
ケーリー・グラント
フィリップ・ルロワ
ロバート・ヴォーン

映画 編集

1962年

1968年

1969年

1970年

1971年

1972年

1973年

1974年

1976年

1981年

1982年

1988年

1991年

ドラマ 編集

1957年

1961年

1964年

  • 逃亡者(1964年-1967年、ナレーション)※TBS版

1966年

1967年

1968年

1970年

  • 謎の円盤UFO(1970年-1971年、ナレーション)※日本テレビ版

1971年

1972年

海外アニメ 編集

放送日不明 編集

テレビアニメ 編集

1963年
1971年
1978年
1994年
1998年
2000年
2001年
2002年
2004年
2006年
2007年
2009年
2010年
2014年
2017年

劇場アニメ 編集

OVA 編集

人形劇 編集

特撮 編集

ゲーム 編集

パチンコ 編集

ラジオ 編集

舞台 編集

  • レースの鎧(1964年、テアトル・エコー) - 石黒清太[31]

その他 編集

※山口時代の800回と最終回では顔出し出演
※2014年9月の「超タイムショック」まで。2019年9月25日の「ザ・タイムショック」にも登場。

ナレーション 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

バラエティー 編集

CM 編集

テレビCM 編集
ほか多数
ラジオCM 編集
ほか多数
映画作品 編集

CD 編集

DVD 編集

  • 懐かしのせんだい・みやぎ映像集 昭和の情景(仙台放送)※せんだいCM特捜隊のナレーション

前回のあらすじ 編集

舞台演出 編集

  • 四人の隊長の恋(1964年、テアトル・エコー) - 演出助手[32]
  • 商船テナシチィ(1965年、テアトル・エコー)※納谷悟朗と共同で演出[33]

参考文献 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ ※他の著名な出演者との共演が無いため、「ほか」と表記した。森英恵團伊玖磨もこのCMに出演している(ともに1984年放映)。
  2. ^ 消防士のおもちゃが高層ビルに架けられたはしごを登るCM。カンヌ国際広告映画祭など、世界三大コマーシャル賞を受賞(引用元:電池事業の歴史(1979年 - 1988年) - パナソニックエナジー)
  3. ^ ※『がんばれネオハイトップ』というメイキングVTRがあり、矢島はこのナレーションも務めた。VTR内にはCMナレーションの収録シーンがあり、このシーンで矢島の顔が映る。なお、矢島は同シーンで「コマーシャルを語り続けて20数年、違いが分かる男、矢島正明。ただし、コーヒー紅茶の違いは分かるという程度」(原文ママ)とナレーションしている。
  4. ^ ※1984年に放映した「恋舞台(60秒版)」は1度だけしかオンエアしていない。
  5. ^ (※(原子力発電の燃料となる)ウランを焼き固めたもの)
  6. ^ ※2009年に旭化成エレクトロニクスへ半導体事業を譲渡。詳細は「東光(株)からの半導体事業の譲受け及び業務協力について(2009年1月7日)」を参照。

出典 編集

  1. ^ a b c d e 矢島正明「奥付」『矢島正明 声の仕事』洋泉社、2015年。ISBN 978-4-8003-0533-6 
  2. ^ a b c d e f g 新劇便覧 1965, p. 329, 新劇俳優名鑑
  3. ^ 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、162頁。 
  4. ^ 『声優名鑑』成美堂出版、1999年8月、662頁。ISBN 4-415-00878-X 
  5. ^ 矢島正明の解説”. goo人名事典. 2022年1月10日閲覧。
  6. ^ 男性俳優(五十音順)”. プロダクション・エコー. 2024年1月10日閲覧。
  7. ^ a b c 声優名鑑 -矢島正明”. スーパー!ドラマTV. 2021年8月4日閲覧。
  8. ^ 週刊平凡』、平凡出版、1966年11月24日、63頁。 
  9. ^ 佐伯浩明「ささやく"深夜のパイロット"」『夕刊フジ』、産業経済新聞社、1975年9月18日、9頁。 
  10. ^ 第五回声優アワード 受賞者発表”. 声優アワード. 2011年3月5日閲覧。
  11. ^ 講師紹介”. 映像テクノアカデミア. 2021年8月4日閲覧。
  12. ^ 【第17回】ええこと江古田の一の会 その2「第51回公演「騙り語り」特集!矢島正明先生と公演について語ります!!」 - YouTube
  13. ^ a b c d 『スター・トレック』カーク船長の声でおなじみ!矢島正明、いまの声優界に喝【声優伝説】”. シネマトゥデイ (2016年9月4日). 2016年11月21日閲覧。
  14. ^ a b 阿部邦雄編著、近代映画社『TV洋画の人気者 声のスターのすべて』148頁~ 矢島正明のインタビューより
  15. ^ ただし、矢島の記憶では番組開始から3~6か月ほどは黒沢良だったという。
  16. ^ 『タイムショック』50周年 令和最初の放送にSnow Man阿部ら出演”. ORICON NEWS. 2019年9月25日閲覧。
  17. ^ リバーズさんはTwitterを使っています / Twitter
  18. ^ 荒野の七人[1973年録音・吹替版]”. スターチャンネル. 2023年7月10日閲覧。
  19. ^ 鉄腕アトム”. メディア芸術データベース. 2022年5月10日閲覧。
  20. ^ さすらいの太陽”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。
  21. ^ 星の王子さま・プチ・プランス”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。
  22. ^ GATE KEEPERS”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。
  23. ^ ナジカ電撃作戦”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。
  24. ^ 宇宙大作戦チョコベーダー”. メディア芸術データベース. 2022年5月9日閲覧。
  25. ^ 鉄人28号”. メディア芸術データベース. 2022年5月14日閲覧。
  26. ^ Bartender”. メディア芸術データベース. 2016年8月17日閲覧。
  27. ^ 真マジンガー 衝撃!Z編 on television”. アニメハック. 2022年5月8日閲覧。
  28. ^ 世紀末オカルト学院”. A-1 Pictures. 2016年5月19日閲覧。
  29. ^ アニメージュ』2013年11月号、徳間書店、2013年10月10日。 
  30. ^ 鉄人28号 白昼の残月”. メディア芸術データベース. 2022年5月15日閲覧。
  31. ^ 新劇便覧 1965, p. 428, テアトル・エコー
  32. ^ 新劇便覧 1965, p. 428, テアトル・エコー
  33. ^ 『劇団協議会月報』12月38号、劇団協議会幹事会、1964年、19頁。 

外部リンク 編集