ジョージ・ノース (第3代ギルフォード伯爵)

第3代ギルフォード伯爵ジョージ・オーガスタス・ノース英語: George North, 3rd Earl of Guilford1757年9月11日 - 1802年4月20日)は、イギリスの政治家、貴族。イギリス首相を務めたフレデリック・ノースは父にあたる。

第3代ギルフォード伯爵
ジョージ・ノース
George North, 3rd Earl of Guilford
生年月日 1757年9月11日
没年月日 (1802-04-20) 1802年4月20日(44歳没)
出身校 オックスフォード大学トリニティ・カレッジ
所属政党 ホイッグ党
配偶者 マリア・フランシス・メアリー・ホバート=ハンプデン(1785年 - 1794年)
スーザン・クーツ(1796年 - 1802年)
親族 2代ギルフォード伯爵(父)、4代ギルフォード伯爵(弟)、5代ギルフォード伯爵(弟)

グレートブリテン王国の旗 庶民院議員
選挙区 ハリッジ選挙区英語版
ウートン・バセット選挙区英語版
ピーターズフィールド選挙区英語版
バンベリー選挙区英語版
在任期間 1778年 - 1784年
1784年 - 1790年
1790年
1790年 - 1792年

グレートブリテン王国の旗 貴族院議員
在任期間 1792年8月5日 - 1802年4月20日
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父がギルフォード伯爵位を継承した1790年から自身が爵位を継承する1792年までノース卿(Lord North)の儀礼称号を用いた。

生涯

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第2代ギルフォード伯爵フレデリック・ノースとアン・スピーク(Anne Speke、1741年-1797年)との長男として生まれた[1]。1774年より1777年にかけてトリニティ・カレッジ(オックスフォード大学)に学んだ[2]

ジョージは1778年以降の選挙で庶民院議員に当選し続け、父のアメリカ独立戦争における政策を支持した。1792年に父が死去するとギルフォード伯爵位を継承し、貴族院に移った[1]

1792年7月、首相の小ピットからベンガル総督位を打診されたが断った[3]

2度結婚して娘3人を儲けたが息子はすべて夭折し、1802年に死去するとギルフォード伯爵は弟フランシスが継承、ノース男爵は保持者不在となる[4][5]。1837年7月15日、貴族院はノース男爵位は最も長生きした娘に与えられると決議した[2]。1835年にジョージアナが、1841年にマリアがそれぞれ死去すると決議に従ってスザンナが第10代ノース女男爵となった[5][6]

家族

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1785年9月24日に第3代バッキンガムシャー伯爵英語版の娘マリア・フランシス・メアリー・ホバート=ハンプデンと結婚した[1]。2人はマリアが1794年4月22日に死去するまで2男2女を儲けたが、成人したのは娘1人だけだった。

  • フランシス・ノース(1786年7月)
  • フレデリック・ノース(1790年9月)
  • ジョージ・オーガスタス・ノース(1793年2月)
  • マリア・ノース(1793年12月26日 - 1841年9月11日) - 1818年7月29日に第2代ビュート侯爵英語版と結婚

1796年2月28日、ロンドンの銀行家トマス・クーツの娘スザンナと結婚し、1男2女を儲け、うち2女が成人した[1]

  • スザンナ・ノース(1797年2月16日 - 1884年3月5日) - 1835年11月18日に海軍大佐ジョン・シドニー・ドイル英語版と結婚
  • ジョージアナ・ノース(1798年1月6日 - 1835年8月25日) - 未婚
  • フレデリック・オーガスタス(1802年1月)

脚注

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  1. ^ a b c d Guilford, Earl of (GB, 1752)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年5月1日閲覧。
  2. ^ a b Barker, George (1895). "North, Frederick (1732-1792)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 41. London: Smith, Elder & Co. p. 159-164.
  3. ^ [1] History of Parliament Online article.
  4. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Guilford, Barons and Earls of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 12 (11th ed.). Cambridge University Press.
  5. ^ a b Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). pp. 682-683. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/682 
  6. ^ Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). p. 428. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/428 

参考文献

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グレートブリテン議会英語版
先代
エドワード・ハービー英語版
ジョン・ロビンソン英語版
ハリッジ選挙区英語版選出庶民院議員
1778年 - 1784年
同一選挙区同時当選者
ジョン・ロビンソン英語版
次代
ジョン・ロビンソン英語版
初代ボルトン男爵英語版
先代
ヘンリー・シンジョン
ウィリアム・ストラーン英語版
ウートン・バセット選挙区英語版選出庶民院議員
1784年 - 1790年
同一選挙区同時当選者
ロバート・シーモア=コンウェイ英語版
次代
初代アルダリーのスタンリー男爵英語版
第5代ダウン子爵
先代
ウィリアム・ジョリフ英語版
第5代ダウン子爵
ピーターズフィールド選挙区英語版選出庶民院議員
1790年
同一選挙区同時当選者
ウィリアム・ジョリフ英語版
次代
ウィリアム・ジョリフ英語版
ティッチフィールド侯爵
先代
ノース卿
バンベリー選挙区英語版選出庶民院議員
1790年 - 1792年
次代
フレデリック・ノース
グレートブリテンの爵位
先代
フレデリック・ノース
ギルフォード伯爵
1792年 - 1802年
次代
フランシス・ノース
イングランドの爵位
先代
フレデリック・ノース
ノース男爵
1792年 - 1802年
次代
保持者不在
1841年以降はスーザン・ノース