強情灸(ごうじょうきゅう)は古典落語の演目の一つ。

元々は上方落語の「やいと丁稚」の演目。

主な演者

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物故者

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現役

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あらすじ

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主人公の男が友人の男に会う。友人は、とんでもなく熱いがよく効くという評判の店に灸を据えてもらいに行ったことを語り、その熱さに耐えたことを自慢する。自慢された男は面白くない。「たかだか灸ぐらいで威張るな」と、奥からもぐさを持ってきて、腕に山盛りに積み上げると点火する。熱さに歯を食いしばって耐えながら「石川五右衛門なんか、油で茹でられたのに平気で辞世の句を詠んだぞ」などと言って強がるが、とうとう我慢しきれなくなってもぐさを払い落としてしまう。なおも「五右衛門……」と唸っている男に友人が「五右衛門がどうしたって?」と意地悪く声をかけると男が「五右衛門もさぞ熱かったろう」。

お灸

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お灸にはもぐさを使い、わざと火傷を作ってその刺激で患部を治す「有痕灸」と、塩などのペーストを塗り、その上でもぐさを焚く「無痕灸」の二種類が存在する。当然、「有痕灸」の方が数段熱い(の項も参照のこと)。

今回作中に登場する山盛りの灸は、作中の描写から「有痕灸」の可能性が高く、本来なら数回に分けて据える灸をいっぺんに据えるのだから、治療というよりはただの馬鹿馬鹿しい自傷行為で痩せ我慢もいいところである。

サゲの変形

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上記の演じ方のほか、もぐさを払い落とさず「石川五右衛門」を連発しながら無茶な熱を我慢する男に、友人が意地悪に質問したところで、顔を引きつらせつつ耐えながら、絞り出すように「五右衛門も……さぞ、熱かったろう」と答えてサゲにする形もある。

また、伝・石川五右衛門の辞世を語ってみせるところで、熱さによる錯乱の余り「~浜の真砂は尽きるとも むべ山風を嵐と言ふらむ」と百人一首が混入するパターンもある(5代目志ん生など)。

  • 吹くからに 秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐と言ふらむ(文屋康秀
    • あまりに無意味な内容から百人一首の中でも札付きの駄作と評される歌だが、その馬鹿馬鹿しさがかえってネタとして買われているのか、古典落語で和歌が引用されるくだりには(まったく意味もなく)頻出する。

原版「やいと丁稚」

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お灸を折檻に使っていたころの話。ある商家の主が、丁稚にオシオキをしようとお灸を据えた。泣き叫ぶ丁稚を見て、本当に熱いのかと思った主は自分にも据えてみるとこれが物凄く熱い。

「辛抱でけんかったら、払い落としたらいいんや!」

江戸っ子気質のカリカチュア

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この噺の枕(冒頭)に、必ずといって良いほど登場するのが次の小噺。

銭湯に行き、熱湯に入った男が強情を張り

「あー、ぬるい、トホホホ、あんまりぬるいんで気が遠くなっちゃった」

「うん、ぬるくて、足に湯が食いつくね」

「ぬるいってのに、あー、なんだ、こっちを向くな。動くんじゃねえっ」

そこへお爺さんがドボン。

「湯をかき回すなよ、温いんだから……」

多少オーバーになっているとはいえ、この話は「江戸っ子気質」というものを的確に表しているようだ。実利主義の大阪人にとって、こんな馬鹿馬鹿しい我慢比べは「狂気の沙汰」以外の何物にも映らないだろう。上方を元としながら、原版と全く違った話になってしまったのは、やはり「武士は喰わねど高楊枝」の町ならではのことなのかもしれない。

順番待ちの札の番号と、お灸の数は必ずしも「36個」と決まっているわけではなく、それぞれ、演者によって変わる事がある。ただし、番号札のかな(いろは)番号については最後尾(お尻)とかけて「へ()の○番」であることが多い。灸は30~40個辺り、基本は左右同じ数にするため、合計数は偶数であることが多い。