アドルフ・ブランまたはブランクAdolphe Blanc, 1828年6月24日 アルプ=ドゥ=オート・プロヴァンス - 1885年6月10日 パリ)はフランス室内楽作曲家19世紀半ばのフランスに珍しい器楽曲の作曲家として、ジョルジュ・オンスローや同世代のテオドール・グヴィと並び立つ存在。とりわけ木管楽器のための合奏曲に聴くべきものが多い。

アドルフ・ブラン

13歳でパリ音楽院ヴァイオリン科に入学。リュドヴィク・アレヴィに師事し、オペラ作曲家として1868年に1幕のオペレッタ《2軒の兵舎 Les Deux Billets 》によってデビューするも、その本領は、同時代のウィーン楽派の「ハウスムジーク」の流れに沿った、洗練された室内楽曲にあったため、オペラ中心の19世紀のパリ楽壇にあってブランの器楽曲は、実質的に傍流に留まらざるを得ず、ブランの名もほとんど忘れられていた。

1855年から1860年までパリ・リリック座の指揮者を務めた。

3つの弦楽四重奏曲、4つの弦楽四重奏曲、7つの弦楽五重奏曲、15のピアノ三重奏曲ピアノ四重奏曲ピアノ五重奏曲がそれぞれ数点のほか、ヴァイオリンのための小品やいくつかの管弦楽曲、歌曲合唱曲がある。しかしながら《木管と弦楽のための七重奏曲》作品40を除いて、有名と言いうる作品はない。以下の楽曲は音源が存在する。

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