アメリカン航空383便事故
1965年11月8日の航空事故
アメリカン航空383便墜落事故(アメリカンこうくう383びん ついらくじこ)は、1965年11月8日にアメリカ合衆国のケンタッキー州で発生した航空事故である。
事故機と同型のボーイング727 | |
出来事の概要 | |
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日付 | 1965年11月8日 |
概要 | CFIT |
現場 | アメリカ合衆国・ケンタッキー州 |
乗客数 | 57 |
乗員数 | 5 |
負傷者数 | 4 |
死者数 | 58 |
生存者数 | 4 |
機種 | ボーイング727-23 |
運用者 | アメリカン航空 |
機体記号 | N1996 |
出発地 | ラガーディア空港 |
目的地 | シンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港 |
ラガーディア空港からシンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港へ向かっていたアメリカン航空383便(ボーイング727ー23)がシンシナティ・ノーザンケンタッキー国際空港への最終進入中に墜落し、乗員乗客62名中58名が死亡した。
事故機
編集事故機のボーイング727-100(N1996)は製造番号18901として製造された。1965年6月29日にアメリカン航空に納入され、総飛行時間は938時間であった[1]。
事故の経緯
編集383便は北西から空港へ向かって飛行し、厚い雲と雷雨に見舞われた。パイロットは気付くことなく急速に降下した。空港は標高853フィート(260m)に位置しており、383便は空港の北東約5マイル(8.0km)を飛行していたが、空港の上空553フィート(169m)の高さまで降下していた。その後、空港の上空わずか3フィートの高さまで降下したが、その時点で1,000フィート(300m)よりわずかに低い正しい高度を下回っていた。川を横切って南岸に戻りながらオハイオ川の谷を下り、滑走路に合わせて最終ターンをした時、滑走路の標高を下回る高度で滑走路から北へ3kmの谷の森林の斜面に墜落して爆発炎上した。
乗員乗客62人の内、客室乗務員1人と乗客3人を除く58人が死亡した[1]。尚生存した乗客の一人に音楽プロデューサーのイスラエル・ホロヴィッツがいる。
脚注
編集- ^ a b “"Aircraft Accident Report, American Airlines, Inc. Boeing 727, N1996, Near the Greater Cincinnati Airport, Constance, Kentucky, November 8, 1965"”. Civil Aeronautics Board. 2021年6月4日閲覧。
関連項目
編集- トランス・ワールド航空128便墜落事故 - この事故から2年後に383便の墜落現場付近で同様の原因によって発生した墜落事故。