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アラシュ・ボルハニ

イランのサッカー選手

アラシュ・ボルハニペルシア語: آرش برهانی‎, ラテン語: Arash Borhani, 1983年9月14日 - )は、イランケルマーン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。

アラシュ・ボルハニ Football pictogram.svg
名前
本名 アーラシュ・ボルハーニー
ラテン文字 Arash Borhani
ペルシア文字 آرش برهانی
基本情報
国籍 イランの旗 イラン
生年月日 (1983-09-14) 1983年9月14日(36歳)
出身地 ケルマーン
身長 175cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW (CF)
利き足 両足
ユース
1997-2001 イランの旗 シャフルダーリー・ケルマーン
2001-2002 イランの旗 パース
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2006 イランの旗 パース 94 (34)
2006-2007 アラブ首長国連邦の旗 アル・ナスル 7 (1)
2007 イランの旗 パース 11 (2)
2007-2016 イランの旗 エステグラル 228 (60)
2016-2017 イランの旗 ペイカーン 6 (0)
代表歴
2003-2006  イラン U-23 16 (12)
2003-2010 イランの旗 イラン 37 (10)
監督歴
2017- イランの旗 ガハル・ザーグロス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

彼は、2008-09シーズンのイランサッカーリーグ得点王であり、また、同リーグの通算得点ランキングで歴代2位タイ。U-23代表時代に2006年アジア競技大会で銅メダルを獲得した[1]

経歴編集

クラブ編集

2002年、イランサッカーリーグの3大クラブの1つに数えられるパース・テヘランFC英語版でキャリアをスタートさせ、翌2003-04シーズンは最終節でハットトリックを達成するなどレギュラーとして活躍し、リーグ優勝に貢献した[2]。また、AFCチャンピオンズリーグ2005でも主力の1人としてプレーした。

2006 FIFAワールドカップがまもなく開催される前にUAEリーグアル・ナスルSCと契約したが、不測の事態で解雇されたことにより、2007年1月21日に古巣のパース・テヘランに復帰した。復帰してから5ヶ月の間に2得点にとどまるなど、自身のキャリアの中で最も困難な時期を過ごしていた。

その後、クラブが解散したことでボルハニのもとにUAEのアル・アインFCベルギーREムスクロンポルトガルヴィトーリア・セトゥーバルトルコデニズリスポルや国内リーグのメス・ケルマーンFCエステグラルFCと様々なチームからオファーが舞い込み[3][4]、2007年7月17日に同じテヘランを拠点とするエステグラルFCへ移籍した。10月27日、3-2で勝利したペイカーンFC戦で移籍後最初のハットトリックを決めた。11月25日、ハズフィー・カップSCダーマーシュ戦で2度目のハットトリックを決めるなど5得点を記録し、最終的にチームは8-1で勝利した。また、同2008-09シーズンのリーグ戦では21得点を挙げ得点王に輝き、リーグ優勝に導く活躍をした。翌シーズンは11得点を記録したが、最終節で多くのチャンスを逃した。

2016年にペイカーンFCに移籍したが怪我に悩まされ、2017年に現役引退を表明した。

代表編集

パース・テヘランFC英語版在籍中にU-23代表としてアテネオリンピックアジア予選に招集されると、ウズベキスタン戦の2試合で4得点を決めるなど好調なプレーを維持したが、チームは本大会進出を逃した。

同じ頃にA代表に招集され、2006 FIFAワールドカップ・アジア予選カタール戦で同点を決めるなど幾つかの試合で貴重な得点を挙げると、日本戦前に36歳と衰えがみえるアリ・ダエイの代わりにボルハニ起用論が世論から出るほどにまでなり[5]、ダエイの後継者として期待されていた。その後、2006 FIFAワールドカップのメンバー入りを果たしたが、主にダエイとヴァヒド・ハシェミアンの控えを務め、出場機会はあまり得られなかった。

2006年11月、アジア競技大会に出場するため再びU-23代表に参加し、準々決勝の中国戦でボルハニは相手GKをドリブルでかわして得点を決めた。その際、がら空きのゴール前で立ち止まり喜びのポーズをきめてからゴールした。

タイトル編集

脚注編集

外部リンク編集