サッカー中華人民共和国代表
サッカー中華人民共和国代表(サッカーちゅうかじんみんきょうわこくだいひょう)は、中国サッカー協会(CFA)によって構成される、中華人民共和国のサッカーのナショナルチームである。アジアサッカー連盟および東アジアサッカー連盟に所属。ホームスタジアムは首都・北京にある北京工人体育場。
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国または地域 |
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協会 | 中国サッカー協会 | |||
FIFAコード | CHN | |||
愛称 | 国足、龍之隊 | |||
監督 |
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最多出場選手 | 李瑋鋒(112試合) | |||
最多得点選手 | 郝海東(41得点) | |||
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初の国際試合 | ||||
![]() ![]() (マニラ、1913年2月4日)[1] | ||||
最大差勝利試合 | ||||
![]() ![]() (ホーチミン、2000年1月26日) | ||||
最大差敗戦試合 | ||||
![]() ![]() (レシフェ、2012年9月10日) | ||||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 1回(初出場は2002) | |||
最高成績 | グループリーグ敗退 (2002) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 12回 | |||
最高成績 | 準優勝 (1984, 2004) | |||
サッカー香港代表、サッカーマカオ代表、サッカーチベット代表については各項目を参照のこと。
歴史編集
1900年代 - 1990年代編集
1913年に創設された極東選手権の第1回大会に参加しフィリピン戦で初の国際試合を経験した。なお、極東選手権競技大会では10大会中9大会で優勝を果たした。
FIFAワールドカップは1958年大会に初めて予選に参加したが、インドネシアに敗退。その後1978年大会まで不参加であり、1982年大会から再び予選に参加した。
1982年大会のアジア・オセアニア予選では、日本や北朝鮮を下した後、最終予選でニュージーランドと勝ち点・得失点差で同率2位となり、最終予選プレーオフでニュージーランドと対戦したものの1-2で敗れた。1986年大会のアジア予選ではホームで香港に敗れ1次予選グループ4A2位で予選敗退。1990年大会のアジア予選では、最終予選に進出したものの、カタール戦とUAE戦で共に1-0から残り数分で逆転負けするなど4位に終わり予選敗退。1994年大会のアジア予選では1次予選グループA2位で予選敗退に終わった。1998年大会のアジア予選でも最終予選に進出したものの、グループA3位で予選敗退となった。このように、ワールドカップ出場権を逃す状況が続いた。
2000年代 - 2010年代編集
2002年大会のアジア予選では、開催国として日本と韓国が予選を免除され、当面のライバルは中東に絞られることになった。アジア最終予選のグループ分けではサウジアラビア、イラン、イラクなどが全てグループAへと回り、中国はUAE、ウズベキスタン、オマーン、カタールなどと同じグループBとなった。そしてボラ・ミルティノビッチに率いられた中国代表はアジア最終予選グループBを6勝1敗1分のトップで通過し、初の本大会出場権を獲得した。その本大会では1次リーグ・グループCに入り、ブラジル、コスタリカ、トルコと対戦したが、3戦無得点で全敗しグループ最下位で敗退となった。
その後、自国開催となったAFCアジアカップ2004で準優勝した。しかし、2006 FIFAワールドカップのアジア予選では1次予選でクウェートに総得点で僅差で及ばず[注 1]、敗退となった。予選敗退後は2008年の北京オリンピックに照準を合わせ世代交代を進め、2005年の東アジア選手権では優勝した。
2010 FIFAワールドカップ・アジア予選は、オーストラリア、イラク、カタールと同じ組となり、3次予選でグループ1最下位に終わり敗退した。韓国に対しては恐韓症とも称されている。なお、2010年の東アジア選手権では初対戦から32年、28試合目にして3-0で初勝利した。
2014 FIFAワールドカップ・アジア予選も3次予選グループA3位で敗退した。2015年アジアカップは予選で苦しめられ、各組3位の最上位での出場権獲得と間一髪だった。本大会ではグループリーグを3戦全勝しベスト8に進出したが、準々決勝でオーストラリアに0-2で敗れた。
EAFF E-1サッカー選手権2017では、初戦で恐韓症とも称される韓国と対戦。前半9分にウェイ・シーハオのゴールで先制するも直後に逆転を許したことが響き、76分にユー・ダーバオのゴールで追いつくも2-2で引き分けにもつれ込んだ。第2戦の日本戦はスコアレスで粘りを見せていたが、試合終盤に2点を奪われるなどして1-2で惜敗した。最終戦の北朝鮮戦も28分に先制するも、試合終盤の81分にセットプレーから失点して1-1で引き分けとなり、未勝利で大会を終えることとなった。
2018 FIFAワールドカップ・アジア予選では3次予選まで進出し、グループA5位で予選敗退となったものの第6節でライバルの韓国をホームに迎え、1-0で破った。なお、中国は最終予選は4節終了時点で勝ち点1しかない状況だったが、FIFAW杯2006年大会でイタリア代表を優勝に導いたマルチェロ・リッピ監督が就任してから残りの6試合は、前述の韓国撃破など3勝2分1敗と好調だった。
EAFF E-1サッカー選手権2019では初戦の日本戦は29分、70分に失点を喫し、90分にドン・シュエシェンのゴールで1点を返すも同点に追いつくことはできず、1-2で惜敗した。第2戦の韓国戦も13分にキム・ミンジェにゴールを決められてそのまま0-1で敗れ、最終戦の香港戦で2点を奪ってようやく初勝利を手にして大会を終えた。
2022 FIFAワールドカップ・アジア予選では最終予選に進出。初の国外出身選手であるブラジル出身のエウケソン(艾克森)[2]、アラン(阿兰)、アロイージオ(洛国富)、イギリス出身のブラウニング(蒋光太)、イェナリス(李可)、香港出身の戴偉浚らが招集され話題となったが、中国のゼロコロナ政策の影響でホームゲーム開催ができなかったこともあり予選敗退となった。
2020年代編集
中国が新型コロナウイルス対策を理由として、開催を返上し日本開催となったEAFF E-1サッカー選手権2022では1勝1分け1敗となり、3大会連続でのグループ3位という結果に終わった[3]。
成績編集
FIFAワールドカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1930 | 不参加 | ||||||
1934 | |||||||
1938 | |||||||
1950 | |||||||
1954 | |||||||
1958 | 予選敗退 | ||||||
1962 | 不参加 | ||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | |||||||
1978 | |||||||
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | |||||||
1990 | |||||||
1994 | |||||||
1998 | |||||||
2002 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 |
2006 | 予選敗退 | ||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
2018 | |||||||
2022 | |||||||
合計 | 1/22 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 9 |
AFCアジアカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1956 | 不参加 | ||||||
1960 | |||||||
1964 | |||||||
1968 | |||||||
1972 | |||||||
1976 | 3位 | 4 | 1 | 1 | 2 | 2 | 4 |
1980 | グループリーグ敗退 | 4 | 1 | 1 | 2 | 9 | 5 |
1984 | 準優勝 | 6 | 4 | 0 | 2 | 11 | 4 |
1988 | 4位 | 6 | 2 | 2 | 2 | 7 | 5 |
1992 | 3位 | 5 | 1 | 3 | 1 | 6 | 6 |
1996 | ベスト8 | 4 | 1 | 0 | 3 | 6 | 7 |
2000 | 4位 | 6 | 2 | 2 | 2 | 11 | 7 |
2004 | 準優勝 | 6 | 3 | 2 | 1 | 13 | 6 |
2007 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 7 | 6 |
2011 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 4 |
2015 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 5 | 4 |
2019 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 7 | 7 |
合計 | 12/17 | 56 | 23 | 13 | 20 | 88 | 65 |
AFCソリダリティーカップ編集
- 2016年 - 不参加
極東選手権競技大会編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1913 | 準優勝 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 |
1915 | 優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 |
1917 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 0 |
1919 | 優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 5 | 3 |
1921 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 5 | 1 |
1923 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 |
1925 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 7 | 1 |
1927 | 優勝 | 2 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 |
1930 | 優勝 | 2 | 1 | 1 | 0 | 8 | 3 |
1934 | 優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 7 | 3 |
合計 | 10/10 | 23 | 18 | 3 | 2 | 60 | 17 |
アジア競技大会編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1951 | 不参加 | ||||||
1954 | |||||||
1958 | |||||||
1962 | |||||||
1966 | |||||||
1970 | |||||||
1974 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 7 | 4 |
1978 | 3位 | 7 | 5 | 0 | 2 | 16 | 5 |
1982 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 3 |
1986 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 10 | 7 |
1990 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 4 |
1994 | 準優勝 | 7 | 5 | 1 | 1 | 16 | 8 |
1998 | 3位 | 8 | 6 | 0 | 2 | 24 | 7 |
合計 | 7/13 | 49 | 31 | 4 | 14 | 107 | 50 |
EAFF E-1サッカー選手権編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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2003 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 |
2005 | 優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 5 | 3 |
2008 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 5 |
2010 | 優勝 | 3 | 2 | 1 | 0 | 5 | 0 |
2013 | 準優勝 | 3 | 1 | 2 | 0 | 7 | 6 |
2015 | 準優勝 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 |
2017 | 3位 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 |
2019 | 3位 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 3 |
2022 | 3位 | 3 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 |
合計 | 9/9 | 27 | 9 | 9 | 9 | 36 | 32 |
歴代監督編集
- 戚務生 1994-1997
- ボブ・ホートン 1997-1999
- ボラ・ミルティノビッチ 2000-2002
- アリー・ハーン 2002-2004
- 朱広滬 2005-2007
- ヴラディミル・ペトロヴィッチ 2007-2008
- 高洪波 2009-2011
- ホセ・アントニオ・カマーチョ 2011-2013
- アラン・ペラン 2014-2016
- 高洪波 2016
- マルチェロ・リッピ 2016-2019
- ファビオ・カンナヴァーロ 2019
- マルチェロ・リッピ 2019
- 李鉄 2019-2021
- 李霄鵬 2021-
歴代選手編集
W杯の大会メンバー編集
主な代表選手編集
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歴代記録編集
出場数ランキング編集 水色は現役選手
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得点数ランキング編集 水色は現役選手
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その他編集
- タトゥー禁止令
2021年12月28日、中国国家体育総局はサッカー代表選手に対し、タトゥーの除去を勧告と新たに入れることを禁止する通達を出した。また、既にタトゥーを入れている選手に対し、「特殊な状況」下で行われる練習や試合中はタトゥーを隠すよう指示した[4]。2021年時点でブラジルなどから帰化選手も増えており[5]、その対応の一環。
脚注編集
注釈編集
- ^ 勝点、当該国同士の対戦成績、得失点差は同点。総得点でクウェートが1点多かった。
出典編集
- ^ “China matches, ratings and points exchanged”. World Football Elo Ratings: China. 2014年11月18日閲覧。
- ^ “サッカー中国代表がエウケソン招集、完全な国外出身選手では初”. www.afpbb.com (2019年8月21日). 2021年12月15日閲覧。
- ^ “東アジア選手権、日本開催に サッカー”. 時事ドットコム. 時事通信社 (2022年4月19日). 2022年4月19日閲覧。
- ^ “中国、サッカー代表選手にタトゥー除去勧告”. AFP (2021年12月30日). 2021年12月30日閲覧。
- ^ “中国代表、4人の帰化選手は何者? ブラジルとイングランド出身、日本代表の脅威に【W杯アジア最終予選】”. フットボールチャンネル (2021年9月7日). 2021年12月29日閲覧。