アレキサンダー・ライオネル・ボレイン(Alexander Lionel Boraine, 1931年1月10日 - 2018年12月5日[1])は、南アフリカ共和国政治家、反アパルトヘイト活動家。ケープタウン大学およびニューヨーク大学客員教授を務めていた[2]

アレックス・ボレイン
真実和解委員会副委員長
任期
1996–2003
大統領ネルソン・マンデラ(創設者)
指導者デズモンド・ツツ(委員長)
個人情報
生誕 (1931-01-10) 1931年1月10日
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国ケープタウン
死没 (87歳没)
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国ケープタウン
国籍南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
出身校ローズ大学
オックスフォード大学
ドルー大学
職業政治家牧師

生い立ち・学歴

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1931年1月10日ケープタウンの貧しい白人家庭に生まれる。1956年に23歳でローズ大学を卒業し、メソジスト教会の聖職者となる[3]。その後裕福な信徒の支援を受けてオックスフォード大学修士課程、ドルー大学博士課程を修了しPhDを取得した[3]。博士課程時代の専攻は組織神学と聖書研究であった。

経歴

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博士課程を修了した1966年、南ア南部地域メソジスト協会協議会代表に就任[2]1970年には南アメソジスト協会協議会の会長に最年少で就任し、その職を3年間務めた[4]。当時の南アメソジスト教会はアパルトヘイトの中にあったが、「教会は多人種であるべき」と考えた彼は黒人の鉱山労働者のもとを訪れ、その労働環境に対して積極的に発言した[5]

1972年ハリー・オッペンハイマーによって鉱山会社アングロ・アメリカンへ招かれたボレインは、黒人労働者の環境改善を任され、2年間これに取り組んだ[3]

政治家として

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1974年、野党進歩党英語版から立候補し国会議員に当選[2]。しかし、1986年には国会が白人以外の意見を代表していないと批判し辞任した。その後1995年まで反アパルトヘイト運動を支援するNPOで会長を務めた。

1995年、彼は真実和解委員会の副委員長に就任し、委員長デズモンド・ムピロ・ツツの下で1998年まで働いた。その後はニューヨーク大学法学部で教授を務めた後に国際移行期正義センター(ICTJ)を設立し、会長兼南アフリカ事務所長として3年間働いた。

著書

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  • 『国家の仮面が剥がされるとき 南アフリカ「真実和解委員会」の記録』2008年、第三書館

脚注

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  1. ^ Anti-apartheid activist Alex Boraine passes away”. BizNews (5 December 2018). 2021年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c アレックス・ボレイン|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2021年7月1日閲覧。
  3. ^ a b c Annual Survey of American Law: 1999 Dedication - Alexander Boraine & Desmond Tutu”. NYU Law. 2021年7月1日閲覧。
  4. ^ Charles, Marvin (6 December 2018). “Desmond Tutu mourns passing of TRC co-founder Alex Boraine”. Independent Online. https://www.iol.co.za/capeargus/news/desmond-tutu-mourns-passing-of-trc-co-founder-alex-boraine-18402336 2021年7月1日閲覧。 
  5. ^ Remembering Alex Boraine: An Intimate Conversation”. 国際移行期正義センター (February 6, 2019). 2021年7月1日閲覧。
公職
先代
(初代)
  真実和解委員会副委員長
初代:1995年 - 1998年
次代