アンティオコス13世
アンティオコス13世アジアティコス(Αντίοχος ΙΓ' Ασιατικός、? - 紀元前64年)は、セレウコス朝シリアの王(在位:紀元前69年 - 紀元前64年)。アンティオコス10世エウセベスとクレオパトラ・セレネ1世の子。セレウコス朝最後の王。
アンティオコス13世 Αντίοχος ΙΓ' Ασιατικός | |
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在位 | 紀元前69年 - 紀元前64年 |
死去 |
紀元前64年 |
王朝 | セレウコス朝 |
父親 | アンティオコス10世 |
母親 | クレオパトラ・セレネ1世 |
生涯編集
紀元前92年から紀元前83年頃に父エウセベスがパルティアとの戦いで死亡すると、母セレネは息子アジアティコスを王位に据えようとしたが、弱体化したシリアはアルメニア王ティグラネス2世(シリア王としては同1世)に紀元前83年から紀元前69年まで征服され、支配権を確立できないままであった。
紀元前69年に母がティグラネスに捕えられて殺害された後、ローマのグナエウス・ポンペイウスがティグラネスを撃破し、シリア王としてアジアティコスを据えた。アジアティコスはフィリッポス2世フィロロマエオスとの支配権争いが続き、弱体な政権に過ぎなかった。
ほどなくして紀元前64年、アジアティコスはポンペイウスにより廃位、殺害され、セレウコス朝シリアは滅亡する事になった。競争者であったフィリッポス2世も間もなく廃位された。以降、シリアはローマのシリア属州となり、総督が派遣されるようになる。
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