セレウコス7世

セレウコス朝の君主・エジプトの共同統治者

セレウコス7世 フィロメトルギリシャ語: Φιλομήτωρ)またはキビオサクテスギリシャ語: Κυβιοσάκτης)はセレウコス朝の君主。実在は疑問視されている。

セレウコス7世 フィロメトル
キビオサクテス
セレウコス朝の王
シリアの王
エジプトの王
在位 シリア王:紀元前83年 - 紀元前69年
アルメニア王のティグラネス2世対立王
エジプト王:紀元前58年

死去 紀元前58年(正確な日付は不明)
次代 アンティオコス13世
ベレニケ4世
配偶者 ベレニケ4世
王朝 セレウコス朝
父親 アンティオコス10世英語版
母親 クレオパトラ・セレネ1世
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生涯編集

シリアの王編集

セレウコスは最近までは知られていない人物であった。セレウコスと母親のプトレマイオス朝王女のクレオパトラ・セレネ1世によって発行された硬貨から、アンティオコス10世英語版とクレオパトラの子であり、セレウコス朝最後の君主のアンティオコス13世の兄弟と推測されている。セレウコスはアルメニア王のティグラネス2世(在位:紀元前83年 - 紀元前69年)によるシリアの占領の間にセレウコス朝の君主として「支配した」と思われる。しかし、実際はこの時期にセレウコス朝に臣従している都市はごくわずかであった。

ティグラネスがシリアを征服した(紀元前83年)後しばらくして、クレオパトラはセレウコスをエジプトの王として認めさせるためにローマに旅行したが、役に立たなかった。少なくとも紀元前75年から紀元前73年の間、シリアの王として認められ、王室を存続した[1]

エジプトの共同王編集

セレウコスはおそらく、後にベレニケ4世(妹に著名なクレオパトラ7世がいる)と結婚し、共同統治者となったセレウコスと同一人物である[2]。しかし、マナー不足のために不満を抱いたベレニケに殺害されたとされている。彼は軽蔑的なΚυβιοσάκτης(キビオサクテス、the term for the foul-smelling work of cutting tuna fish)という名を付けられた。

脚注編集

  1. ^ E.R. Bevan, The House of Seleucus, London, 1902, p. 263.
  2. ^ http://www.tyndalehouse.com/egypt/ptolemies/berenice_iv.htm

参考文献編集

  • Heinen, Heinz (1968). “Séleucos Cybiosactés et le Probléme De Son Identité”. In Cerfaux, Lucien (フランス語). Antidorum W. Peremans Sexagenario Ab Alumnis Oblatum. Studia Hellenistica. 16. Publications universitaire de Louvain. OCLC 876029154 
セレウコス7世

不明 - 不明

爵位・家督
先代:
ティグラネス2世
セレウコス朝の君主 シリア王英語版
紀元前83年 - 紀元前69年
共同統治者 クレオパトラ・セレネ1世 紀元前83年 - 紀元前69年
次代:
アンティオコス13世