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カミーユ・サン=サーンス

略歴編集

内務省に勤める官吏の家庭に生まれる[注 1]が、生後数ヶ月で父親は亡くなり、母親と大叔母に育てられる。モーツァルトと並び称される神童で[7]、2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われている[8]。また、10歳でバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンたちの作品の演奏会を開き[9]、16歳で最初の交響曲を書きあげている。1848年に13歳でパリ音楽院に入学して[10]作曲とオルガンを学ぶ[注 2]。特にオルガンの即興演奏に素晴らしい腕を見せ、1857年から1877年にかけ、当時のパリのオルガニストの最高峰といわれた[12]マドレーヌ教会のオルガニストを務める。

1861年から65年にかけてニデルメイエール音楽学校(École Niedermeyer)で生涯唯一の教職に就き、フォーレアンドレ・メサジェウジェーヌ・ジグーなどを教える[13]。特にフォーレとは終生の友人となった。普仏戦争終了後の1871年にはフランク、フォーレらとともに国民音楽協会を設立し、フランス音楽の振興に努めた[13][注 3]

サン=サーンスは作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者として国際的に活躍したが、パリでは長い間その作品に反対する意見が多かった[15]。その状況がはっきりと変わるのは、1881年にアカデミー会員に選出され、1883年オペラヘンリー八世」初演が大成功を収めるころのことだった[16]。57歳の1892年にはケンブリッジ大学から名誉博士号を贈られ[17]、1901年にはヴィルヘルム2世からプール・ル・メリット勲章を授与された[18]。1913年、78歳のサン=サーンスは、レジオン・ドヌール勲章の最高位であるグラン・クロワを贈呈されている。1921年、アルジェリア旅行中に86歳の生涯を閉じ、葬儀は、その多大な功績に相応しく国葬で執り行われた[18]

作風編集

「モーツァルトとハイドンの精神で」育った[19]サン=サーンスは、バッハベートーヴェンの作品にも精通し、若い時期にはメンデルスゾーンシューマンに影響を受けている[18]。同時に彼の音楽は「本質的にフランス的なもの(...)を表現している」とされ[7]ノルベール・デュフルク英語版はサン=サーンスの美学を「厳密な設計、明晰な構築、論理的な展開、節約された線的・和声的手段」と表現し[20]ロマン・ロランはサン=サーンスを「古典的フランス精神のただ一人の代表者」と評している[21]。こうした美学は生涯を通して大きく変わることはなかった[22][注 4]

サン=サーンスは、映画『ギーズ公の暗殺』のため1908年というきわめて早い時期にオリジナルの映画音楽を作曲した[注 5]ことに象徴されるように、幅広い分野に多くの作品を残している。なかでも重要なのは、当時のフランスでは新作が冷遇されていた[27]交響曲室内楽曲協奏曲といった分野である[18]。国民音楽協会の開設とあわせ[28]、これらの作品によって彼はフランス音楽史へ大きな足跡を残した[29]

前半生では、当時先進的とされたシューマンやリストの作品を積極的に擁護し[11]、「現代音楽家」、革命家とみなされていた[30]。「形式の最大限の可変性」を求めて[31]リストの確立した交響詩の形式をフランスにいち早く持ちこんだ一人であり[32]、協奏曲においては形式面や、独奏と管弦楽との関係において多くの実験を行い[33]、フランスにおけるこのジャンルに重要な貢献をもたらした[34]。またワーグナーを早くから擁護する一人でもあったが、のちにフランスに広がったワグネリズムには否定的な立場をとるようになった[注 6]

他にはバロック音楽にも通じ、リュリシャルパンティエラモーらの作品の校訂に携わり[37]クラヴサンの復興にも関わった[38]。複数の「組曲」や七重奏曲 Op. 65などの作品では、バロック期の舞曲形式へのいち早い興味を示している[32]

交響曲第3番「オルガン付」やオペラ「サムソンとデリラ」など「もっとも独創的で最良の作品のうちいくつか」が作曲された1870-80年代[39]を経て、晩年には第一次世界大戦を経験して死の直前にいたるまで、すでに保守的とみなされるようになった作風による創作を続けた[40]。公的には依然として栄光を受けていたものの若い世代からは「形式主義的」で「絶望的に古臭い」と攻撃され[41]、彼の影響を認める作曲家はラヴェルなどわずかだった[42]1910年にサン=サーンスは、「私は最初の頃は革命家と言われた。しかし私の年齢になるとただ先祖でしかあり得ない」と書簡に記している[19]。ただし、晩年の作品ではピアノの書法が線的で軽くなるとともに木管楽器への偏重、遠隔的な和音進行や旋法終止の増加といった特徴がみられ、第一次世界大戦以降の世代の作曲家の美学(新古典主義音楽)と共通する点があると指摘されている[43][42]

「彼の偉大な名声も、またそれに続く軽視も、共に誇張されすぎてきた」と評される[7]ように、サン=サーンスの音楽はしばしば不公平な評価を受けてきた[43]が、1980年代ごろからふたたび彼への関心が高まり、再認識が進んでいる[28]

人物編集

音楽家として、作曲家、ピアニスト、オルガニストとして活躍するいっぽう、少年のころからフランス古典やラテン語を学んだほか、詩、天文学、生物学、数学、絵画などさまざまな分野に興味を持ち、その才能を発揮した[11][38]。文筆家としての活動は多岐にわたり、1870年代以降は音楽批評家として多くの記事を書いているほか、哲学的な著作、一定の成功を収めた詩や戯曲などを残しており[38]、自作の詩による声楽作品も少なからず存在する。

旅行好きとしても知られ[44]1873年に保養のためアルジェリアに滞在して以来頻繁に北アフリカを訪れたほか、スペイン北欧カナリア諸島南北アメリカ[13]セイロンサイゴンなどにも足を伸ばしている[45]。異国風の音楽は、「アルジェリア組曲」やピアノ協奏曲第5番「エジプト風」など多くの作品に取り入れられている[32]

その辛辣で無頓着な言動は人々の良く知るところであり[46][47]、音楽院時代のアルフレッド・コルトーがピアノを学んでいると名乗ったのに対して「大それたことを言ってはいけないよ」と答えた逸話が残っている[48]。対して、サン=サーンスが称賛したピアノの生徒にはレオポルド・ゴドフスキーがいる[49]

近代音楽にはおしなべて批判的で、ミヨー多調を用いた作品や[50]無調音楽[51]否定的な意見を述べている。また、ドビュッシー交響組曲『春』に対して、嬰ヘ長調であることを理由に管弦楽に適さないと評し[52]、「白と黒で」を「突拍子もないもの」「キュービストの絵と同じです」と非難している[53][注 7]。ただし一方でサン=サーンスは「近代の和声が基づいている調性は死の苦しみにある。(...)古代の旋法が登場するであろう。そしてそれに続いて無限の多様性をもった東洋の旋法が音楽に入り込むであろう。(...)そこから新しい芸術が生まれるであろう」とも述べており[56]、『動物の謝肉祭』(1886年作曲)の「水族館」[57]や、「幻想曲」Op. 124、「7つの即興曲」Op. 160など、印象主義音楽の語法に接近した作品も残している[58]

私生活では1875年、弟子の妹であったマリ=ロール=エミリ・トリュフォ(Marie-Laure-Emile Truffot)と結婚し二児をもうけている[注 8]が、1878年には息子たちが相次いで亡くなり、1881年には妻と事実上離婚しふたたび母親と暮らしている[13]1888年に母親が亡くなってから14年のあいだは定住地を持たず、各地を旅行して過ごした。ただしこれらの出来事が作曲活動に大きく影響することはなく、「リンゴの木がリンゴを実らすように(...)自分の本性の法則に従って」[62]規則正しい創作活動を続けた[63]

主要作品編集

オペラ編集

劇音楽編集

  • アンティゴネ (1893年)
  • 気に病む男 (1893年)
  • デジャニール (1898年)
  • パリザティス (1902年)
  • アンドロマク (1903年)
  • 象牙細工師の娘(疑作説あり)(1909初演)
  • 誓い 作品130 (1910年)
  • 戯れに恋はすまじ (1917年)

バレエ音楽編集

  • ジャヴォット (1896年)

交響曲編集

協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品)編集

ヴァイオリンと管弦楽のための作品編集

ピアノと管弦楽のための作品編集

チェロと管弦楽のための作品編集

その他編集

  • タランテラ 作品6(1857年)(フルート、クラリネットと管弦楽)
  • ミューズと詩人」(La Muse et le Poète)作品132(1910年)(ヴァイオリン、チェロと管弦楽)
  • 演奏会用小品ト長調 作品154(1918年 - 1919年) (ハープと管弦楽)
  • 糸杉と月桂樹Cyprès et lauriers)作品156(1919年) (オルガンと管弦楽)
  • 抒情的小品(オドレット)(Odelette)作品162(1920年) (フルートと管弦楽)
  • ロマンス ヘ長調 作品36(1874年) (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)
  • ロマンス ホ長調 作品67 (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)
  • 演奏会用小品 ヘ短調 作品94Morceau de concert) (ホルンとピアノ、またはホルンと管弦楽)

管弦楽作品編集

  • 序曲「スパルタクス」(1863年)
  • ブルターニュ狂詩曲 作品7bis(作品7から抜粋・再構成)
  • 管弦楽組曲 作品49(1863年)
  • 行進曲「東洋と西洋」作品25 (1869年) (吹奏楽) ※管弦楽版も存在
  • ガヴォット 作品23(1871年)
  • 交響詩「オンファールの糸車」(Le rouet d'Omphale)作品31(1871年)
  • 英雄行進曲Marche héroïque)作品34(1871年) ※2台ピアノからの編曲(下記に再掲)
  • 交響詩「ファエトン」(Phaeton)作品39(1873年)
  • 交響詩「死の舞踏」(Danse macabre)作品40(1874年)
  • 交響詩「ヘラクレスの青年時代」作品50
  • アルジェリア組曲Suite algerienne)作品60(1879年 - 1880年)(4曲)
  • リスボンの夜 作品63(1880年)
  • アラゴン舞曲 作品64(1880年)
  • ヴィクトル・ユゴー賛歌 作品69(1881年)
  • サラバンドとリゴードン 作品93(1892年)
  • エドワード7世のための戴冠行進曲 作品117(1902年)
  • 軍隊行進曲「ナイル川の岸辺で」 作品125(1908年)(吹奏楽)
  • 祝祭序曲 作品133(1909年)(吹奏楽)
  • 連合国行進曲 作品155(1918年)(吹奏楽)
  • アルジェの学生に捧げる行進曲 作品163(1921年)(吹奏楽)

室内楽作品編集

ピアノ作品編集

オリジナル作品(自編を含む)編集

編曲作品(再構成作品も含む)編集

2台のピアノのための作品(自編を含む)編集

オルガン作品編集

  • 3つの小品 作品1(1852年)(ハルモニウム作品)
  • 幻想曲 変ホ長調(1857年)
  • ブルターニュの歌による3つの狂詩曲 作品7(1866年)
  • 祝婚曲(Bénédiction nuptiale) 作品9(1859年)
  • 奉挙、または聖体拝領(Élévation ou Communion) 作品13(1858年)
  • 3つの前奏曲とフーガ 第1集 作品99(1894年)
  • 幻想曲(第2番)変ニ長調 作品101(1895年)
  • 3つの前奏曲とフーガ 第2集 作品109(1898年)
  • 7つの即興曲 作品150(1916-17年)
  • 幻想曲(第3番)ハ長調 作品157(1919年)

合唱を含む作品編集

歌曲編集

  • 歌曲集「ペルシャの歌」(Mélodies persanes)作品26(1870年) (A.ルノー詞、6曲)
  • 「見えない笛」(Une flûte invisible)(1885年) (V.ユゴー詞、フルートのオブリガード付き)
  • 「鼓手の婚約者」(La fiancée du timbalier)作品82(1887年) (V.ユゴー詞)
  • 歌曲集「赤い灰」(La cendre rouge)作品146(1914年) (G.ドクワ詞、10曲)

映画音楽編集

著作編集

日本語訳があるものは次の通り。

  • 『音楽の十字街に立つ』(馬場二郎訳/新潮社/1925年)
  • ジャン=ミシェル・ネクトゥー編著『サン=サーンスとフォーレ 往復書簡集1862-1920』(大谷千正、日吉都希惠、島谷眞紀訳/新評論/1993年)

注釈編集

  1. ^ ユダヤ人を遠祖に持つと言われることもある[1][2]がその根拠はなく、複数の否定意見がある[3][4][5]。ミヒャエル・シュテーゲマン(Michael Stegemann)は、1890年代以降のフランスで反ユダヤ感情が高まるなかで、敵対者が流言を広めたものと推測している[6]
  2. ^ オルガン科でプルミエ・プリを獲得するが、ローマ賞には二度挑戦して失敗している[11]
  3. ^ 1886年には、初代会長を務めたロマン・ビュシーヌとともに退会している。直接の理由となったのは、フランクの弟子であるダンディワーグナーの支持者たちが国外の作品の演奏を主張し、軋轢が起きたためだった[14]
  4. ^ サン=サーンスは先人たちから多くを学びながらも、特定の流派に従うことはなかった[23]。著書『和声と旋律』("Harmonie et Mélodie", 1885)で彼は、「私が愛するのはバッハでも、ベートーヴェンでも、ヴァーグナーでもない。(...)芸術なのだ。私は折衷主義者である。それはおそらく大きな欠点だが、私にはそれをあらためることは不可能である。つまり人はその天性を作り直すことはできないからだ。その上、私は自由を熱烈に愛しており、賛嘆を強いられるのに耐えることができない」[24]と語っている。
  5. ^ 史上初めての映画音楽とされることもある[25]が、"Soldiers of the Cross"(1900年、作曲者不明)や "Marie Antoinette"(1904年、ハーマン・フィンク英語版作曲)といった先例がある[26]
  6. ^ サン=サーンスの透明な管弦楽法に、ワーグナーからの影響はみられない[35]。「ヴァーグナーがすべてで、彼の作品以外には何も認めないような狂信家」を非難したことは、彼が敵意を持たれる理由のひとつにもなった[36]
  7. ^ 対して、ドビュッシーはサン=サーンスの批判者の筆頭であった[54]ものの、彼は「サン=サーンスほどの音楽通は世界広しといえどもほかにはいない」とも述べている[55]
  8. ^ サン=サーンスは同性愛者であったとされることもある[59][60]が、確かな根拠は存在していない[60][61]

出典編集

  1. ^ Irene Heskes (1994) "Passport to Jewish Music: Its History, Traditions, and Culture", Greenwood Press, p.268
  2. ^ Hubbard, William Lines, ed (1908). “Saint-Saëns, Camille”. Musical Biographies. The American history and encyclopedia of music. 2. Toledo. p. 254. https://archive.org/details/americanhistory02thragoog. 
  3. ^ Flynn, Timothy (2004). Camille Saint-Saens: A Guide to Research. Routledge. pp. 63, 69. 
  4. ^ Prod'homme, J.-G. (1922), Camille Saint-Saëns, trans. Martens, Frederick H., , The Musical Quarterly 8 (4), https://www.jstor.org/stable/737853 
  5. ^ マイケル・H・ケイター『第三帝国と音楽家たち―歪められた音楽』明石政紀訳、アルファベータ、2003年、106頁。
  6. ^ シュテーゲマン 1999, p. 169.
  7. ^ a b c Harding, James; Fallon, Daniel M. 笠羽映子、片山雅子訳 (1996). “サン・サーンス,(シャルル・)カミーユ”. ニューグローヴ世界音楽大事典. 7. 柴田南雄, 遠山一行 総監修. 音楽之友社. pp. 347-350. 
  8. ^ シュテーゲマン 1999, p. 24.
  9. ^ Jost 2005, col. 803.
  10. ^ 著者吉澤ヴィルヘルム、発行者矢野恵二『ピアニストガイド』株式会社青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、244ページ、ISBN 4-7872-7208-x
  11. ^ a b c Ratner et al. 2001, p. 124.
  12. ^ シュテーゲマン 1999, p. 34.
  13. ^ a b c d Ratner et al. 2001, p. 125.
  14. ^ シュテーゲマン 1999, p. 68.
  15. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 59-60.
  16. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 64-65.
  17. ^ 伊藤恵子『チャイコフスキー』音楽之友社、2005年、172頁。
  18. ^ a b c d Ratner et al. 2001, p. 126.
  19. ^ a b シュテーゲマン 1999, p. 39.
  20. ^ ノルベール・デュフルク『フランス音楽史』遠山一行, 平島正郎, 戸口幸策 訳、白水社、1972, rpt. 2009、416頁。
  21. ^ シュテーゲマン 1999, p. 18.
  22. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 109-110.
  23. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 15-16.
  24. ^ 海老沢敏『作曲家の肖像』音楽之友社、1998年、220頁。
  25. ^ クラシックと映画音楽”. NHK交響楽団. 2018年6月2日閲覧。
  26. ^ James, Wierzbicki (2009). Film Music: A History. Routledge. p. 41. 
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  29. ^ 今谷和徳、井上さつき『フランス音楽史』春秋社、2010年、367頁。
  30. ^ シュテーゲマン 1999, p. 45.
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  32. ^ a b c Jost 2005, col. 815.
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  34. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 140-141.
  35. ^ シュテーゲマン 1999, p. 135.
  36. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 41-42.
  37. ^ Ratner et al. 2001, p. 128.
  38. ^ a b c シュテーゲマン 1999, pp. 10, 11.
  39. ^ Ratner et al. 2001, p. 127.
  40. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 39, 110.
  41. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 94.
  42. ^ a b Jost 2005, col. 814.
  43. ^ a b Ratner et al. 2001, pp. 128-129.
  44. ^ シュテーゲマン 1999, p. 74.
  45. ^ Steen, Michael (2004). The Lives and Times of the Great Composers. Oxford University Press. p. 623. 
  46. ^ シュテーゲマン 1999, p. 16.
  47. ^ Ratner et al. 2001, pp. 124-125.
  48. ^ Harold C. Schonberg (1987), The Great Pianists, Simon and Schuster, p. 406
  49. ^ ハロルド・C・ショーンバーグ『ピアノ音楽の巨匠たち』後藤泰子訳、シンコーミュージック、2015年、354-355頁。
  50. ^ Nichols, Roger (2002). “Saint-Saëns, (Charles) Camille”. In Latham, Alison. The Oxford Companion to Music. Oxford University Press. p. 1097. 
  51. ^ Saint-Saëns, Camille (1919). Musical Memories. trans. Rich, Edwin Gile. Small, Maynard & Company. pp. 95-97. https://archive.org/details/musicalmemories00sainiala. 
  52. ^ Nichols, Roger (1998). The Life of Debussy. Cambridge University Press. p. 42. 
  53. ^ 『サン・サーンスとフォーレ―往復書簡集 1862‐1920』ジャン・ミシェル・ネクトゥー 編、大谷千正、島谷真紀訳、新評論、1993年、204頁。
  54. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 83-84.
  55. ^ クロード・ドビュッシー『音楽のために:ドビュッシー評論集』杉本秀太郎 訳、白水社、1977, rpt. 1993、113頁。
  56. ^ シュテーゲマン 1999, p. 160.
  57. ^ Rees, Brian (1999). Saint-Saëns: A Life. Chatto & Windus. p. 261. 
  58. ^ シュテーゲマン 1999, pp. 153, 159.
  59. ^ 外部リンク1 及び 外部リンク2
  60. ^ a b Fuller, Sophie; Whitesell, Lloyd, eds (2002). Queer Episodes in Music and Modern Identity. University of Illinois Press. pp. 193-196. 
  61. ^ Gallois, Jean (2004). Camille Saint-Saëns. Editions Mardaga. p. 321. 
  62. ^ シュテーゲマン 1999, p. 15.
  63. ^ シュテーゲマン 1999, p. 108.
  64. ^ 演奏例 - youtube

参考文献編集

  • ミヒャエル・シュテーゲマン『サン=サーンス』西原稔訳、音楽之友社〈大作曲家〉、1999年。
  • Ratner, Sabina Teller (with Harding, James) / Fallon, Daniel M.; Ratner, Sabina Teller (2001), “Saint-Saëns, (Charles) Camille”, in Sadie, Stanley, The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 22 (Second ed.), Macmillan, pp. 124-135 
  • Jost, Peter (2005), “Saint-Saëns, (Charles-)Camille”, in Finscher, Ludwig, Die Musik in Geschichte und Gegenwart, Personenteil 14, Bärenreiter, col. 803-820 

外部リンク編集