ウィリアム・スタンリー (第9代ダービー伯爵)

第9代ダービー伯爵ウィリアム・ジョージ・リチャード・スタンリー英語: William George Richard Stanley, 9th Earl of Derby[1]1656年3月18日1702年11月5日)は、イングランド王国の貴族、政治家。1656年から1672年までストレンジ卿儀礼称号を使用した。

第9代ダービー伯爵

生涯

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第8代ダービー伯爵チャールズ・スタンリーとドロシア・ヘレナ・カークホーヴェン(Dorothea Helena Kirkhoven)の長男として、1656年3月18日に生まれた[2]

1672年12月21日に父が死去すると、ダービー伯爵の爵位を継承した[2]

1684年3月3日から1691年3月9日までチェシャー副提督英語版ランカシャー副提督英語版[3]、1676年から1687年と1688年から1689年までランカシャー統監英語版チェシャー統監英語版を、1702年6月から11月までランカシャー統監英語版と北ウェールズ統監を務めた[1]。また、1685年のジェームズ2世戴冠式に参加した[1]

1702年11月5日に死去、息子が早世したため弟ジェームズがダービー伯爵の爵位を継承した[2]。ストレンジ男爵の爵位は2人の娘の間で保持者不在となったが、1714年に次女エリザベスが死去すると長女ヘンリエッタが爵位を継承した。第9代ダービー伯爵はオルムズカーク英語版で埋葬された[1]

家族

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1673年7月10日、エリザベス・バトラー(第6代オソリー伯爵トマス・バトラー英語版の娘)と結婚、1男2女をもうけた[2]

脚注

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  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 215–216.
  2. ^ a b c d Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 580.
  3. ^ "Vice Admirals of the Coasts from 1660". Institute of Historical Research (英語). 2006年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月12日閲覧
名誉職
先代
ブリッジウォーター伯爵
ランカシャー統監英語版
1676年 – 1687年
次代
モリニュー子爵英語版
チェシャー統監英語版
1676年 – 1687年
次代
ポウィス侯爵
先代
ヘンリー・ブース英語版
チェシャー首席治安判事英語版
1682年 – 1687年
空位
最後の在位者
ウィリアム・バンクス
チェシャー副提督英語版
ランカシャー副提督英語版

1684年 – 1691年
次代
ブランドン子爵
空位
最後の在位者
ダービー伯爵
先代
モリニュー子爵英語版
ランカシャー統監英語版
1688年 – 1689年
先代
ポウィス侯爵
チェシャー統監英語版
1688年 – 1689年
次代
デラマー男爵英語版
先代
リヴァーズ伯爵英語版
ランカシャー統監英語版
1702年
次代
ダービー伯爵
先代
マクルズフィールド伯爵
北ウェールズ統監
アングルシー英語版カーナーヴォンシャー英語版
デンビーシャー英語版フリントシャー英語版
メリオネスシャー英語版モンゴメリーシャー英語版統監)

1702年
次代
チャムリー子爵
マン島の元首
先代
ダービー伯爵
マン島領主
1672年 – 1702年
次代
ダービー伯爵
イングランドの爵位
先代
チャールズ・スタンリー
ダービー伯爵
1672年 – 1702年
次代
ジェームズ・スタンリー
ストレンジ男爵
1672年 – 1702年
停止
次代の在位者
ヘンリエッタ・スタンリー