ウィレム・ヴァン・オッテルロー
オランダの指揮者 (1907-1978)
ウィレム・ヴァン・オッテルロー(Willem van Otterloo、1907年12月27日 - 1978年7月28日)は、オランダの指揮者。作曲家、チェリストでもあった。
ウィレム・ヴァン・オッテルロー | |
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1951年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1907年12月27日 |
出身地 | オランダ・ヴィンテルスヴァイク |
死没 | 1978年7月28日(70歳没) |
学歴 | アムステルダム音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者、作曲家、チェリスト |
担当楽器 | チェロ |
略歴
編集オランダのヴィンテルスヴァイクに生まれる。ユトレヒト大学で医学を学ぶが、その後アムステルダム音楽院に進む。はじめはチェリストであったが、1932年に指揮者としてデビュー。
1937年にユトレヒト市立管弦楽団(ユトレヒト交響楽団)の常任指揮者に就任する。1949年から1973年の長きにわたりハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席指揮者、音楽監督としてその育成に貢献した。
また、1974年から1977年までデュッセルドルフ交響楽団の首席指揮者を務めた。オーストラリアにおいて1967年から1970年までメルボルン交響楽団、1971年から1978年の死去に至るまでシドニー交響楽団の首席指揮者をつとめている。滞在中のメルボルン近郊で交通事故により急死。
フィリップスやコンサート・ホール・ソサエティ等に多くの音源を残し、特にベルリン・フィルと協演した幻想交響曲や、ニキタ・マガロフと協演したブラームスのピアノ協奏曲第2番は評価が高い。最晩年にはシドニー交響楽団とベートーヴェンの交響曲全集のレコーディングに取り組んでいたが、第1番、「英雄」、第4番、「運命」、「田園」の5曲までを録音した時点でオッテルローは死去し、プロジェクトは半ばで頓挫している。
作品
編集- 弦楽オーケストラのための組曲(1938年?)
- ムゼッテ
- エレジー
- スケルツォ
- バッソ・オスティナート
- シンフォニエッタ(1943年)
- (三重の木管と4本のホルンのための)
- モルト・ソステヌート
- テムポ・ヴィーヴォ
- モルト・ソステヌート
- モルト・アレグロ
- (三重の木管と4本のホルンのための)
- セレナーデ(1944年)
- (12人の金管奏者とハープ、ピアノ、チェレスタ、打楽器のための)
- マルシュ(行進曲)
- ノクテュルヌ(夜想曲)
- スケルツォ
- ヒュムネ(讃歌)
- (12人の金管奏者とハープ、ピアノ、チェレスタ、打楽器のための)
- シューベルトの幻想曲ヘ短調D940(ピアノ連弾曲)の管弦楽編曲版(1940年、1952年)
- イントラーダ(1958年)
- (金管楽器と打楽器のための)
文献
編集- Niek Nelissen: Willem van Otterloo (1907-1978), een dirigentenloopbaan (Academisch proefschrift Radboud Universiteit Nijmegen 2009). Uitg. Van Gruting, Westervoort, 2009. ISBN 978 90 75879 407